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山川穂高32歳⇔和田毅42歳ではなく甲斐野央27歳“プロ初対戦は西武・山川”の因縁…「FA人的補償で電撃移籍」工藤公康、内海哲也や田中正義も
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2024/01/12 17:03
山川穂高と甲斐野央。FA移籍と人的補償でそれぞれ新天地へと移る
2019年3月29日の開幕戦早々、甲斐野に登板のチャンスが回ってくる。対西武戦、4対4で迎えた延長10回、クローザーの森唯斗に代わってプロ初のマウンドに立つ。
プロ初対戦の相手は、なんと山川穂高だった。
甲斐野は山川を空振りで3球三振に仕留める。続く森友哉もフルカウントから空振り三振、さらに外崎修汰も2-2から空振り三振。西武の並み居る強打者のバットを空を切らせた。続く11回、中村剛也に内野安打を打たれたものの後続を連続三振に抑えて、開幕戦でプロ初勝利を飾る。
以後、甲斐野は開幕から13試合連続無失点。12.2回を投げて被安打4、18奪三振、8与四球は多いものの、衝撃のデビューを飾った。
ひじ手術後も速球の勢いは相変わらずだったが
しかし5月3日の楽天戦、泉圭輔の後を受けて5番手としてマウンドに上がった甲斐野は田中和基を一ゴロに打ち取ったものの、代打・山下斐紹にソロ本塁打を打たれ、1死を挟んで茂木栄五郎にも再びソロ本塁打を浴びた。それ以降は、失点が増えていった。
目立つのは与四球と被本塁打の多さ。プロの一流打者は剛速球であっても、的を絞ることができれば対応が可能になる証左だった。
1年目は65試合に登板して2勝5敗8セーブ26ホールド、58.2回を投げて73奪三振、6被本塁打34与四球、防御率は4.14。新人王の投票では同僚の高橋礼に次ぐ2位だった。しかし甲斐野は翌年、右ひじ靭帯の一部を損傷する。おそらく登板過多の影響もあっただろう。通常であればトミー・ジョン手術を受けるところだが、甲斐野は培養した自身の多血小板血漿を患部に注射する「PRP療法」を選択。比較的軽症だったので、リハビリ期間を短くして早期復帰を目指したと推測される。
2021年、一軍に復帰したが、以後の甲斐野は一軍と二軍を往復する日々が続く。この時期、筆者は筑後のファームの球場などで甲斐野の投球をしばしば見た。150km/hを優に超す速球の勢いは相変わらずで、二軍の打者相手には無敵に見えたが、それでも歩かせたり、被弾するケースもあるなど不安定さが顔をのぞかせた。
2022年は自己最速となる160km/hをマークするなど、27試合登板で2勝0敗3ホールド、25回を投げて27奪三振に防御率2.52。そして2023年は一軍昇格こそ5月13日になったものの、セットアッパーの又吉克樹が戦線離脱する中で、中継ぎ投手として手堅い活躍をする。46試合登板で3勝1敗8ホールド2セーブ、42.2回を投げて39奪三振、防御率は2.53と、復調の兆しを見せていた。
今回の人的補償は、コンディションが上向きになったタイミングでの移籍となる。西武で新たな一歩を踏み出すことをポジティブにとらえることができるのではないか。
松井、森友哉、大瀬良らと同じ年のドラフトだった山川
一方、FA移籍でソフトバンクに移籍する山川穂高は、沖縄県立中部商、富士大を経て2014年、ドラフト2位で埼玉西武ライオンズに入団した。