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“セクシー旋風”野洲の天才・青木孝太(36歳)は今「ウッチーや槙野、陽介…みんなと差が開いた」28歳で引退、第二の人生で苦しんだ無気力生活 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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posted2023/12/29 11:03

“セクシー旋風”野洲の天才・青木孝太(36歳)は今「ウッチーや槙野、陽介…みんなと差が開いた」28歳で引退、第二の人生で苦しんだ無気力生活<Number Web> photograph by Takahito Ando

現在は電気工技師として働く青木孝太(36歳)。プロ引退後は無気力な生活を過ごしたが、天職と出会った

「世代別代表に行けば、みんなコンスタントに試合に出ている選手たちばかりで本当に羨ましかったし、『早く俺も』という焦りはありました。特にU-20W杯(2007年)が終わってからがさらに苦しかった。仲の良かったウッチー(内田篤人)や槙野、(柏木)陽介、(太田)宏介、ミチ(安田理大)……どんどんみんなと差が開いていくし、自分の目標を下げたとしても届かない。その繰り返し。なんで自分がサッカーをやっているのか見失いそうになったことは何度もありました」

 2010年はJ2降格を味わった千葉に復帰。その後はヴァンフォーレ甲府、ザスパクサツ群馬とJ2のクラブを渡り歩いてきた。2013年から2年間プレーした群馬では不動のレギュラーとして2年間で81試合に出場。当然、契約延長の話はあったが青木は、その契約を断った。

「2014年の時点で、これ以上、J1を目指してサッカー選手を続けても厳しいなと。そろそろ区切りをつけないといけないと思っていたんです。だから最後は1年は海外でプレーするという夢だけでも叶えたかった。だから契約延長を断り、タイに入団テストを受けに行ったんです。でも、そこで契約をもらえなかったことで、帰国後に引退を決めました」

28歳早すぎる引退とセカンドキャリアの苦悩

 引退リリースは2015年6月、自身のブログにて。当時28歳。調子乗り世代の仲間たちや、野洲高校時代の後輩である乾貴士が活躍するのを尻目に、青木はひっそりとスパイクを脱いだ。

「(調子乗り世代の人たちには)連絡したくなかったというか、自分がこうなって正直ちょっと恥ずかしかった。自分が置いていかれている感はあったので、直接、引退も伝えられませんでした」

 そこからは、情熱の欠如に苦しんだ。引退後は知人の紹介で就職したものの、未経験の営業職で苦戦。住宅や企業に飛び込み営業するたびに嫌な顔をされたり、舌打ちをされたり、時には「何しにきたんや!帰れ!」と怒鳴られることもあった。

 さらに「一日の時間が恐ろしいほど長く感じた」と、青木は語る。

【次ページ】 「ぼやけた人生を送っていて、つまらなかった」

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