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年俸270万円が今や“20億超え”…メッツ千賀滉大の逆転人生「なぜ無名の高校生がスカウトされた?」山本由伸と比較する“どちらが最強か”
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph byGetty Images
posted2023/11/14 06:00
驚きの大出世を果たした千賀滉大(メッツ)
「当時のソフトバンクの先発ローテーションには代表クラスの投手が揃っていて、そのレベルにならないと試合に出られないと思っていた」(『週刊ベースボール』23年2月6日号)
1年目は平均以下だった体力の強化に努め、オフには独自の骨幹理論を持つ鴻江寿治(こうのえ・ひさお)氏が主宰する合宿に参加し、効率的な身体の使い方を習得した。
「どれだけ楽して強い球を投げられるか、という部分を常に考えてきた。小さな力で大きな出力を出すという技術を身につければ速い球を投げられる。トレーニングは出力を上げるものではなくケガをしない強い体を作るもの」(同上『千賀滉大のピッチングバイブル』)
投球に関する技術の習得にもどん欲で、1年目オフに当時球界最高峰の制球力を誇っていた9歳年上の中日の吉見一起との合同自主トレで積極的にアドバイスを求めた。それまで不安定だったフォークのコントロールが向上し、のちの「お化けフォーク」誕生に繋がる。
話題を呼んだ「3割打者はいなくなる」発言
強い体を作り、小さな力で大きな出力を出す技術を身につけた千賀は、19年に最速161キロと160キロの壁を破った。加えて格段にレベルアップした制球力とフォークを武器に、同年に奪三振率11.33の日本記録を達成した。
「僕はこの先、3割打者が存在しなくなる時代がくると思っています」
「投手も打者も時代とともに進歩しているが、打者の反応速度などは、人間としての身体能力に限界がある。160キロのストレートに150キロの変化球。限界に近づいているのではないか」(いずれも西日本スポーツ/22年5月3日)
打者の反応速度の限界を超えるボールを投げれば打たれない。進化を続ける千賀は、そんな究極の投手を目指しているのだろう。