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25歳の海外挑戦は遅いのか? “三笘世代”のファンタジスタ伊藤涼太郎「神様がくれた最後のチャンス」「航くんは今、リバプールにいる」 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2023/09/20 11:02

25歳の海外挑戦は遅いのか? “三笘世代”のファンタジスタ伊藤涼太郎「神様がくれた最後のチャンス」「航くんは今、リバプールにいる」<Number Web> photograph by Atsushi Iio

今夏、ベルギー1部シント=トロイデンに移籍した伊藤涼太郎(25歳)。開幕戦から存在感を発揮し、先日の第8節で移籍後初ゴールを決めた

 1998年2月生まれの伊藤にとって、鎌田大地(ラツィオ)や板倉滉(ボルシア・メンヘングラードバッハ)は1学年上、三笘薫(ブライトン)は同学年、堂安律(フライブルク)、田中碧(デュッセルドルフ)、冨安健洋(アーセナル)は1学年下と、現在の日本代表の中心選手はまさに同世代。

 作陽高校から鳴り物入りで浦和に加入した2016年当初、伊藤は4年後(コロナ禍の影響で実際には5年後)の東京オリンピックの代表チームのトップ下候補として期待されていた。

 しかし浦和でも、レンタル移籍した大分でも、思うように出場機会が得られない。そのため、17年12月のチーム立ち上げから21年夏の本番まで、伊藤が代表チームに招集されることは一度もなかった。

「東京オリンピックは、ずっと目指していた舞台だったんですけど、そのメンバーに入れなかったばかりか、かすりもしなかった。同世代の選手たちが世界を相手に自分のプレーを最大限に発揮している姿をテレビで見て、自分もこうなるはずだったのに、自分は何をやっているんだろうって、焦りや危機感をすごく覚えて……。

 自分は世界どころか、J1でも何も残せていない。本来は浦和で活躍して、浦和に恩返しをしてから海外に行きたかったんですけど、思い描いたようにはいかなかった。サッカー選手としてここから上に行くには、大きな覚悟を持って、危機感をもっと感じないといけない、このままではダメになってしまうってすごく感じて……」

 このとき、伊藤は浦和からレンタル移籍した水戸ホーリーホックでプレーしていたが、そのオフに覚悟を決めて浦和を離れ、J2の新潟に完全移籍を果たすのである。

 東京オリンピックでは同世代が躍動する姿に打ちのめされたのに対し、22年末のカタールW杯では計り知れないモチベーションが得られた。

「悔しい気持ちもあったんですけど、凄いなって。本当に刺激を受けましたね。もっと早く日本代表に選ばれたかったんですけど、それは叶わなかった。でも、今からでも遅くない、次のW杯には自分が出たい、って純粋に思えました」

「アルビに貢献してから、海外に行く」

 そのひと月前、主力選手として新潟のJ1復帰に貢献した伊藤は、今度こそJ1で活躍して少しでも早く海外に飛び込む、という目標を掲げて23年シーズンに臨むのだ。

「今の日本代表を見ていると、大半が海外でプレーしている選手たち。自分も日本代表に選ばれて定着するには、海外の相手ともやれるということを示さないといけない。それにはまずJ1で活躍しないと説得力がないので、アルビにしっかり貢献して、J1でやれることを証明して、夏に移籍したいと思ったんです」

 そして今夏、海外からオファーが届く。伊藤にチャンスをくれたのは、ベルギー1部のシント=トロイデンである。日本企業が経営権を持つこのクラブは近年、日本人選手がヨーロッパで飛躍するための足がかりの場となるべく、日本人選手を積極的に獲得してきた。遠藤航(現リバプール)、鎌田、冨安がここから羽ばたいていったことで知られる。

 浦和でチームメイトだった橋岡大樹も21年1月から所属しており、伊藤は橋岡からクラブに関する情報を収集した。

「橋岡とは4月くらいに連絡を取ったんですけど、そのときはあまり勧められなかったです。当時の監督のサッカーに僕は合わないって。でも、新シーズンを迎えるにあたって監督が代わって、今の監督(ヴィッセル神戸でも指揮を執ったトルステン・フィンク)と面談をして、ここに来ようと決断しました。このチームからステップアップしていった航くんや鎌田選手のように自分もなりたいなって」

【次ページ】 25歳の海外挑戦は遅いのか?

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