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大学野球PRESSBACK NUMBER
慶応大のドラ1が引退後、受け取った月給は12万…野球エリートが直面した“社会の現実” 元ロッテ・喜多隆志が明かす「興国高監督になるまで」
text by
内田勝治Katsuharu Uchida
photograph bySankei Shimbun
posted2023/09/17 11:03
2018年夏から興国高校を率いる喜多隆志監督。2006年オフに戦力外通告となってから今に至るまでの話を聞いた
「ふてくされたり、何で大人に対してそんな生意気な態度すんねん、という子もいました。でも、僕そういう子が大好きなんですよ(笑)。言葉にすることがなかなかできないから、態度に出る。それを言葉に出してあげることで表情が変わっていくのが快感でした。学生を野球以外の部分でも指導できて、最終的に野球の技術も上げられた。力がついた2年間だったと思います」
喜多の監督としての礎は、この頃に築かれていった。
智弁に戻ってくる気はあるか?
朝日大での指導も軌道に乗り始めた頃、智弁和歌山の恩師・高嶋仁監督から「智弁に戻ってくる気はあるのか」と連絡を受けた。その後、理事長も交えて話し合い、2011年4月から教員として母校に戻ることが決まった。
野球部では副部長や部長などを歴任し、2015年夏には責任教師として恩師とともに甲子園の土も踏んだ。充実した毎日ではあったが、在職中の6年間、4度出場した甲子園で初戦負けが3度。チームを勝利に導くことができないもどかしさがあった。
「僕は智弁での6年間、甲子園でほとんど勝っていません。(高校同期の)中谷(仁)がコーチや監督になってから甲子園で勝っている。それは偶然じゃなくて必然。自分の中で冷静に分析してそう考えています」
甲子園常連校のエリート集団を指導しながら気づいたことがあるという。
「智弁和歌山の選手はほぼできあがっていて、野球を教えることがすごく重要になってくる学校。でも僕はまず人間形成をしていきながら、野球の結果に結びつけてあげるほうが性に合っているのかなと指導しながら思い始めていました」
智弁を離れる決断
2015年夏の甲子園で初戦敗退した後、高嶋監督の進退問題が一時浮上。その時、喜多はある決断をする。