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甲子園の風BACK NUMBER
“最後通告”の退寮、始発に乗り練習…万波中正が「メンバー外」から挑んだ、最後の夏 恩師が明かす「復活のホームラン」「金足農との激闘」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/23 06:01
横浜高校時代、「スーパー中学生」と鳴り物入りで入学したが、ベンチ入りも危うい時期があった万波。高校時代を恩師が振り返る
例えばこんなことがあった。
「難しいことを考えず、この3つのことだけ頭に置いて取り組もう。軸足にしっかり体重を乗せる、外甘(外角の甘いボール)に照準を合わせる、それをセンター方向に返す」
練習中、平田監督とそう話し合って方向性を決めた翌日、万波はバッティング練習で全く別のことをしていた。
「え? 昨日の話はどうなった?」
監督が話しかけると万波は思わず頭をかいてこう言った。
「あの後、YouTubeでアーロン・ジャッジ(ヤンキース)のバッティングを見ていたら、こうかな、って思って……」
なんとも今時の若者らしいエピソードだ。平田監督は笑う。
「主力選手」として“最後通告”
「俺、YouTubeに負けたか、ってね(笑)。本当に野球が好きで、研究熱心なんです。だから打ち方もよくコロコロと変わっていた。情報の取捨選択能力と、シンプルなことを徹底して身につけていくことは必要だろうと思っていました。ただ、それを説教臭く伝えても彼には決してプラスにならないんですよ。だから僕は、これが中正なんだな、とうるさくは言わず、いい意味で放置していた部分もありました」
実は最上級生となった1月には、遠方の生徒以外はレギュラークラスしか入寮を許されない横浜高校の野球部寮からの退寮を余儀なくされていた。いわばその時点で「主力選手」として“最後通告”を受けていたわけだ。練馬区の実家から横浜高まで、片道1時間半以上かけて通学する毎日。それでも万波は、早朝に起き、始発に乗って練習に向かい、一番乗りでグラウンドに入ってライン引きや、水まき、練習の準備を率先してやっていた。その姿を、平田監督も、仲間たちも見ていた。