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オリックス・山﨑颯一郎が「北陸のダルビッシュ」だった頃…恩師が明かす17歳のターニングポイント「東京から敦賀へ、バスの車中で延々と…」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/08/13 11:03
敦賀気比高校時代の2014年、明治神宮大会で先発した山﨑颯一郎
ゼロか100の選手だと…
初対面から、惚れ惚れする球筋を見せていたという。東は石川県加賀市の中学生だった山﨑を何度も見に行った。ある時、中学の関係者に言われた。
「もしかしたら10年に1人の選手になる可能性がある。とんでもない選手になるか、そのまま終わるか。ゼロか100の選手だと思います」
東も回想する。
「すごく不器用な子でした。投げる球に関してはよかったのですが、他はもう、なにもできひん、みたいな感じでした。体が大きかったので、バント処理とか、速くて細かい動きに苦戦していました。高校の間に絶対に、フィールディングとか、細かい動きは、できるようにせなあかんなと」
投げることは体の成長とともに、自然と力強くなる。そんな見通しがあったから、方針も明確だった。投手は投球以外の牽制球やフィールディングなどの総合力を問われる。東が重視したのは守備の強化だった。
なにより、山﨑の姿勢に好感を持っていた。「アイツは、ずっとボールを離さなかった。すごいなと思いました」。グラウンドを見れば、いつもどこかで投げていた。不器用だがひたむきで、苦手なフィールディングも練習を重ね、弱点を克服していった。
大化けのターニングポイント
チームは2015年春、エースで4番の平沼翔太(西武)を擁してセンバツで北陸勢史上初の全国制覇を果たした。2年生の山﨑は2番手投手の位置づけで、7月の福井大会前半の先発で経験を積み、夏に甲子園デビュー。花巻東に敗れたが、2回をノーヒットに抑え、4奪三振の無失点と存在感を見せた。
高校時代の山﨑にとって、ターニングポイントになったのは甲子園ではない。東が言う。
「こないだ、アイツと会った時、まさにその話をしていたんです。山﨑が最上級生になって明治神宮大会の決勝まで行った時のことです」