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オリックス・山﨑颯一郎が「北陸のダルビッシュ」だった頃…恩師が明かす17歳のターニングポイント「東京から敦賀へ、バスの車中で延々と…」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/08/13 11:03
敦賀気比高校時代の2014年、明治神宮大会で先発した山﨑颯一郎
スケールアップした姿を見せたのは3年春のセンバツである。1回戦で青森山田を相手に最速143kmの速球やカーブの緩急を生かし、9回4安打9奪三振完封。2回戦の海星には序盤に打ち込まれたが9回2失点。敗れたものの、プロ注目投手としての力を発揮した。最後の夏は福井大会2回戦で坂井を相手に延長15回の4失点完投。報われなかったが、全力を出し尽くした。
その年の秋、オリックスにドラフト6位で指名され、晴れてプロ入りした。
緊急招集のWBC…悔しさを糧に
23年の春、日本海を抱く敦賀市が活気づいた。越前ガニは豊漁で、北陸新幹線延伸を1年後に待つイベントが行われた。そして、WBCである。侍ジャパンのメンバーのうち、2人輩出した高校は敦賀気比だけだった。主砲として活躍した吉田正尚とともに山﨑も名前を連ねた。チームは世界一の大団円を迎えたが、山﨑には未練が残った。
「WBC、投げたかったですね……」
昨年の日本シリーズでの活躍が買われて、3月のWBCに準々決勝から追加招集でメンバー入りしたが、投手陣で唯一、登板機会がなかった。やるせない思いに触れた東は教え子に言った。
「次もまたチャンスはある。その悔しさをぶつけてほしい。まだ出てきたばかりやし、焦らずに、これから経験を重ねて、上がっていけばいい。マイナスになることはない」
屈辱を味わって足踏みし、再び前を向く。山﨑も、できないことが多い高校球児のひとりだった。悔しさを着実に力に変え、器を大きく広げてきた。あえて目先の結果を求めなかった東の胆力と山﨑の飽くなき努力。オリックスで示している威風堂々たる姿は、そんな師弟の歩みから生まれた。
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