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メジャー球団を驚かせた“史上最も過小評価”の日本人ピッチャー…阪神ファンが泣いた“村山実の伝説”「岡田彰布が大ファン」「シーズン防御率0点台」 

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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photograph byMakoto Kenmizaki

posted2023/07/03 11:01

メジャー球団を驚かせた“史上最も過小評価”の日本人ピッチャー…阪神ファンが泣いた“村山実の伝説”「岡田彰布が大ファン」「シーズン防御率0点台」<Number Web> photograph by Makoto Kenmizaki

戦後唯一の「シーズン防御率0点台ピッチャー」村山実(阪神)の伝説とは

 村山は、立教大野球部のセレクションを門前払いされた経験があり、かねてより立教のスター・長嶋をライバル視していた。2000万円の契約金を提示した巨人を蹴って、500万円の阪神に入団した一因はそこにあったとも言われている。村山は生涯「あれはファールだった」と言い続けたが、その発言は「立教の屈辱を忘れない」という自身への戒めでもあったのだろう。

 村山に立ちはだかった相手は、ミスタープロ野球、そしてV9に向かう全盛期の巨人軍だ。強烈な太陽の横で影が薄くなるように、村山にはいつしか悲運のエースといったイメージがつくようになった。

涙の抗議「ワシらは一球に命をかけてるんや」

 その投げ方はザトペック投法と呼ばれた。ザトペックは、ヘルシンキ五輪で5000m、1万m、マラソンの3冠を達成したチェコスロバキア(当時)の天才ランナー。常に苦し気な表情で走る姿と、村山がいつもマウンドで顔を歪めて全力投球する姿が似ていることから名付けられた。

 最たる武器はフォークボールで、速くストンと落ちる球、チェンジアップのように緩く大きく落ちる球、右打者のインコースにシュートしながら落ちる球、アウトコースにスライドしながら落ちる球を投げ分けた。通常のフォークより指の開きを狭くしたスプリット・フィンガード・ファストボールをメジャーに先駆けて投げたといわれる。加えて真上、スリークウォーター、サイドスローと腕の振りを変えながら、変幻自在のフォークで打者を幻惑した。

 筆者は現役時代の村山をテレビで見ているが、いつも汗をかき、目の下にクマを作りながら全力投球する姿が印象に残っている。そして、しばしば涙目になりながら主審に詰め寄っていた。

 思い出すのは「涙の抗議事件」。1963年(昭和38)8月11日の巨人戦、同点の終盤にリリーフ登板した村山は、最初の打者に投げた球をボールと判定され、マウンドから駆け下りて猛抗議した。

「ど真ん中のボールがなんでボールなんや。もっとしっかり見てくれ。ワシらは一球に命をかけてるんや」

 これが主審への暴言として退場を命じられると、三塁ダグアウト前で捕手の肩にすがり、号泣しながらこう言った。

「投手が命がけで投げとる球を命がけで見てくれと言うてるだけやないか」

 大事な場面でリリーフしたエースが一人目の打者で退場。今ならチームに迷惑をかける暴走と批判されそうだが、当時の野球ファンは村山の一球にかける熱い思いに心を打たれたものだ。

【次ページ】 血行障害発症も…「防御率0.98」

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