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セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
イブラ様、引退セレモニーで「覚えておけ!」相手サポを毒舌で挑発…最後まで超ヤンチャな41歳が少し涙、ミランの後輩が号泣したワケ
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/06/27 17:00
2011年のイブラヒモビッチ。41歳となった彼がついに引退を決断した
「サッカーとはお別れするが、ミランファンとはお別れじゃない。俺は一生ミラニスタだ。ありがとう、またな」
我こそ神よ、ひれ伏せ、と悪鬼のような気迫で敵をなぎ倒してきたスウェーデン産の偉大なストライカーは、憑き物が落ちたような穏やかな表情で、うっすらと涙すら浮かべながらスパイクを脱いだ。
「最悪だが最も尊敬するDF」からも敬意を込めて
なぜ、イブラヒモビッチは終生のクラブとしてミランを選んだのだろう。
キャリアでの獲得タイトル数でいえば、12個を荒稼ぎしたパリSG時代(12-16年在籍)や5個ずつ獲っているバルセロナ(09-10年)とインテル時代(06‐09年)の方が多い。チームメイトの顔ぶれでいえば、04年から2季プレーしたユベントスは豪華そのものだ。
足掛け25年に及ぶ長いキャリアでは、鎬を削ったライバルも多かった。
「最悪だが最も尊敬するDF」として指名された元ユーベ主将ジョルジョ・キエッリーニ(現ロサンゼルスFC)は、敬意をこめてズラタンをこう評している。
「お互い何度蹴りを入れて、何度削りあったか。肘も入れたし、罵り合いもした。あいつほどゲームバランスを一人で動かしてしまう選手はいないから」
イブラヒモビッチの引退であらためて印象づけられたのは、今は亡き盟友ミノ・ライオラが彼にとっていかに大きな存在だったかということだ。昨年4月、54歳で急逝したライオラは名物代理人だった。
ベローナ戦後の引退会見で、イブラは「もう1年やれと俺を翻意できるのはミノだけ。だが、やつはもういない」と語り「それにあいつ、(契約延長交渉の)手数料とるし」と続けて記者たちの笑いを誘った。だが、当人の顔に笑いはなかった。
ボスニアとクロアチアの血を引く移民の子ズラタンは、イタリア移民2世オランダ人のライオラとウマが合い、アヤックス時代から義兄弟と呼べるほど固い絆を持った。
2人で強豪クラブを渡り歩き、セリエAやリーガ・エスパニョーラ、リーグアンやELも制した。キャリア晩年に差し掛かり、米国MLSでくすぶっていたイブラヒモビッチに欧州復帰を強く勧め、2020年1月のミラン復帰を後押ししたのがライオラだった。
トナーリもジルーも涙に暮れた
ミラン復活の夢は老兵の体に残るアドレナリンを滾らせた。優勝が現実味を帯び始めた昨年春に親友の命は散ったが、ズラタンは最終節で11年ぶりのスクデットをライオラに捧げた。本懐を遂げ、内なる炎が燃え尽きたとしてもおかしくなかった。
だが、ズラタンは今季もグラウンドに残った。