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「松井秀喜さんは歴史上の人物みたいな感じ」なぜ秋広優人20歳から“巨人で55番のプレッシャー”を感じない? 「原巨人は若手が育たない」の終わり
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/22 17:28
現在の巨人で55番をつける秋広優人(20歳)。写真は2月の宮崎キャンプで松田宣浩と
以降3番に定着すると、ここまで47試合、打率.321、4本塁打、18打点、OPS.822、得点圏打率.387の急成長ぶり。中学卒業時にはすでに198cmに達していた現在202cmの長身を生かした、リバウンドをもぎ取るようなフェンス際に強い外野守備でも球場を沸かす大活躍だが、さすがに55番の先輩・松井と比較するようなファンはもうほとんどいないだろう。
気が付けば、ゴジラ松井が巨人で活躍していた頃から、20年という長い時間が経ったのである。今年5月、松井は10年ぶりに東京ドームで始球式を行い、その際に後輩・秋広と対面した様子が球団公式YouTubeチャンネルで公開されていた。通路で先輩を待つ間の秋広は、嬉しそうにこう言う。
「(松井さんは)自分が生まれたときにちょうどヤンキースに行ったんですね。2002年。昔の映像とかで(見た)ワールドシリーズMVPとか、看板直撃弾とか、次元が違う。歴史上の人物、偉人みたいな感じなんで、自分からしたら」
「いや~嬉しいじゃない! デカすぎだよ!」
09年のワールドシリーズが昔の映像……というZ世代のリアル。松井がシーズン50本塁打を放ちながらも、「裏切り者と呼ばれるかもしれないが」と苦渋の表情でメジャー移籍会見を開いた、2002年に秋広は生まれている。本塁打を1本打つごとに、日本テレビからホームランカードが発行される松井の巨人時代の異様な人気と注目度も、あとから「平成史の一部」として知った世代。秋広が中学校へ進学する頃には、すでに松井は現役を引退していた。
つまり、20歳の秋広にとっては、巨人の「背番号55」は偉大であっても、リアルではなかったのだ。
ちなみに東京ドームで秋広と対面した松井本人も、「いや~嬉しいじゃない! デカすぎだよ! 頑張ってね。見てるよ」とカラッと明るく声をかけていたが、原辰徳監督も大田泰示の55番時代より、秋広に対してはいい意味で肩の力を抜いた起用法と適度な距離感で接しているように見える。
なにせ大田はドラフト会議で原監督自ら1位の当たりクジを引き当て、さらに東海大相模高の直系の後輩というストーリーがあった。もちろん、当時の「松井に代わる巨人を背負えるような和製大砲を育てたい」というチーム事情もあっただろう。同時にまだ若かった原監督も大田に対しては、なんとか一本立ちさせようと「お前さんの人生変えてみろ」的に厳しく叱咤激励し、かと思えばいきなり4番として起用するなど、これでは本人が萎縮してしまうのでは……という印象を受けたのも事実だ。
原辰徳「今年は選手を怒ったことがない」
だが、秋広には昨年の秋季キャンプで、肩の力を抜いて打てるようにサザンオールスターズの「TSUNAMI」を熱唱しながらバットスイングをさせ、最後まで見守ると「歌はグッド! スイングはノーグッド!(笑)」なんつってご機嫌なタツノリコメントを残している。もちろん移籍直後の中田翔に対して、果敢に弟子入り志願できる秋広のフットワークの軽さとハートの強さもあるだろうが、第3次原政権では、明らかにこれまでとは若手選手に対する接し方も変化している。