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“最後のPL戦士”中川圭太(27歳)が明かす“大阪桐蔭の応援”への特別な想い「打席で聴ける日がくるなんて…」高3夏の熱い記憶とは?
posted2023/05/29 11:00
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
KYODO
オリックスが連敗を4で止め、8日ぶりの勝利を挙げた5月21日の試合後。監督も選手も、大阪桐蔭高校吹奏楽部の応援への感謝の言葉を並べた。
5月19〜21日の対日本ハム3連戦は、「大阪代表バファローズ高校」と銘打って様々なイベントが行われ、21日は大阪桐蔭高吹奏楽部が試合前にグラウンドで演奏を披露し、試合中もライトスタンドでオリックスの私設応援団とコラボ。甲子園でおなじみの大阪桐蔭の応援曲で選手を後押しするイニングもあった。
中嶋聡監督は、「ブラスバンドってすごいなーと思いながら聴いていました。あれがあったから(点数を)取ってくれたのかもしれないし。調子悪くなったら呼ぼうかな。お願いしようかな、学校のほうに。森友哉にお願いしよ」と笑った。
大阪桐蔭高時代に甲子園春夏連覇を達成した森は、適時三塁打で母校の応援に応えた。
「力みましたね、今日は。なんか懐かしさがありました。『おっきいの狙おう』と思って打席に立つことってあまりないんですけど、今日はちょっと、狙っちゃいました」と苦笑した。
そして、4回裏に3点本塁打を放った中川圭太は、お立ち台でこう言った。
「大阪桐蔭吹奏楽部の皆さんに応援していただいて、すごいテンションが上がりました。ありがとうございます」
PL学園高校出身の中川が発した言葉に、不思議な感動を覚えた。単なる感謝と、少しのリップサービスかもしれない。でも、その奥に何かあるような――。
大阪桐蔭に敗れて終わった高3の夏
中川にとって、大阪桐蔭はある意味因縁の相手とも言える。
かつて春夏合わせて7度の全国制覇を果たしたPL学園は、2016年の夏を最後に休部となった。その2年前、中川が高校3年だった2014年の夏は、野球経験のない校長が監督を務めていたため、主将だった中川が選手兼任監督のような役割も果たしていた。
そうした状況でも、激戦区・大阪で決勝まで勝ち上がった。だが、再びPLの名を甲子園へ、という夢は、決勝で、すでに全国屈指の強豪となっていた大阪桐蔭に打ち砕かれたのだ。
5月21日の試合後、お立ち台での言葉について中川に尋ねると、返ってきたのは純粋で温かい、高校時代の思い出だった。