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三笘薫や田中碧は「ほぼ家族でした」…宮代大聖が川崎Fの先輩から学んだこと「薫くんは絶対に取られない」「アオくんの後ろにくっついて…」
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byKAWASAKI FRONTALE
posted2023/04/28 11:02
期限付き移籍を終え、川崎Fに復帰した宮代大聖。アカデミー時代から将来を嘱望されたストライカーが、世界で戦う先輩たちに受けた薫陶とは
「すごかったです。そのときからドリブルしかしないし、絶対に取られなかった。FWにもう一人うまい先輩がいて、その人と薫くんがパスを交換し始めたら誰にも止められない。自分は、こぼれてきた美味しいボールを決めるポジションでした(笑)」
三笘、田中、旗手とコロナ禍で寮生活「ほぼ家族でした」
プロ入り後は、先輩たちとも家族同然の付き合いになった。
新型コロナウイルスの影響を大きく受けた2020年のこと。
宮代は若手の選手寮である「青玄寮」で生活していた。当時の寮生は7人で、寮長は田中碧。大卒ルーキーの三笘薫、旗手怜央、イサカ・ゼイン、神谷凱士の4人に加えて、高卒2年目の原田虹輝と宮代がいた。
開幕直後にJリーグが中断となり、緊急事態宣言によりチームの活動も休止に。クラブハウスは閉鎖され、若手も皆、屋外でトレーニングができない時間を過ごしていた。筋トレは自室で個々に行い、寮周辺のランニングも選手一人ひとりが時間をずらして実施するなど、感染対策のガイドラインも厳格だった。外出禁止で誰とも会えず、息抜きをすることはおろか、好きなものを食べることもできない。
若いエネルギーを持て余す彼らにとっては、神経がすり減っていくような毎日だった。それだけに、あの苦しい期間を一緒に過ごし、一つ屋根の下で乗り越えて行ったまとまりは、まるで家族のようだったと笑う。
「あのときは寮生の団結力がすごかったです(笑)。『同じ釜の飯を食う』じゃないですけど、やっぱり苦しいときに一緒にいると絆が固くなりますね。あのときの僕らがどんだけ仲良かったか……もうほぼ家族でしたから」
長い中断期間を終えてリーグが再開すると、川崎フロンターレは快進撃を見せる。記録的な得点数と勝ち点を叩き出して、2位以下に大差をつける独走で優勝を果たしたのは今でも語り草だ。寮生だった田中碧、三笘薫、旗手怜央はチームの主力として稼働した。