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三笘薫や田中碧は「ほぼ家族でした」…宮代大聖が川崎Fの先輩から学んだこと「薫くんは絶対に取られない」「アオくんの後ろにくっついて…」
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byKAWASAKI FRONTALE
posted2023/04/28 11:02
期限付き移籍を終え、川崎Fに復帰した宮代大聖。アカデミー時代から将来を嘱望されたストライカーが、世界で戦う先輩たちに受けた薫陶とは
「自分はこういう動き、こういうプレーが得意だということを試合や練習を通して要求しながら、徐々にわかってもらえるようにコミュニケーションはよく取りましたね。自分も仲間の特徴を理解しないと、どういうタイミングでパスが出てくるのかもわからないので」
レンタル移籍とはいえ、「いずれフロンターレに戻るから」という気持ちでは絶対にプレーしなかった。中途半端な気持ちでピッチに立つのは、今いるチームに失礼だからだ。そもそも移籍先で結果を残さなければ、フロンターレに居場所があるわけもない。所属している間は、そのクラブに自分の全てを捧げた。
そんな覚悟は若きストライカーを着実に成長させていく。「ここで結果を残さなければ」という貪欲な姿勢は、徳島や鳥栖で数字として現れた。2シーズンの武者修行を終えた宮代は明らかにたくましさを増し、再び慣れ親しんだユニフォームを身に纏うことになった。
宮代大聖にとって三笘薫と田中碧はどんな存在?
昨年のカタールW杯で、三笘薫や田中碧、板倉滉といったフロンターレのアカデミー出身者が活躍したことは大きな話題になった。同じアカデミー育ちの宮代は、彼らの活躍をどんな思いで見つめていたのだろうか。
「Jリーグで活躍して、海外でも結果を出して、W杯でもあれだけ活躍して……。すごい人たちだな、と。すぐ近くでプレーしていた先輩たちが、世界の舞台で戦っているのはメチャクチャ刺激になりますよ」
3歳上の三笘薫や2歳上の田中碧からは、直に影響を受けた世代でもある。
特に田中碧は身近なお手本だった。U-18時代から兄のように慕って、行動をともにしていた。
「後ろにくっついて、なるべく一緒に過ごしていました。アオくんも学ぶことが好きな人なので、練習前のメニューを聞いたり、一緒にトレーニングもしていましたね。プロになってからも基本、アオくんについていって教えてもらってました(笑)」
一方で、三笘のインパクトは強烈だった。初めて間近で見たのは中学3年生のときだ。当時の宮代は飛び級でU-18に所属しており(それも十分すごいのだが)、そこで高校3年生の三笘とチームメイトになった。
宮代は「もちろん、覚えてますよ」と苦笑いを浮かべながら当時の記憶を回想する。