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「巨人ダントツ人気時代」はいつ終わった? 甲子園球児“好きなプロ野球選手”を調べてわかった…「FA制度」と「メジャー行き」の本当の影響 

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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posted2023/04/07 11:02

「巨人ダントツ人気時代」はいつ終わった? 甲子園球児“好きなプロ野球選手”を調べてわかった…「FA制度」と「メジャー行き」の本当の影響<Number Web> photograph by KYODO

1996年オフ、西武から巨人に移籍した清原和博。左は当時監督の長嶋茂雄

大人気だった中畑清…なぜ?

 甲子園、プロ1年目と華々しい活躍をした清原を差し置いて、中畑清がトップに輝いた。

 当時の巨人は毎試合、地上波で中継されていた。そのため、センバツ球児の「好きな球団」アンケートでも断トツの1位であり、「好きなプロ野球選手」でもベストテンのなかに5人もの選手が入っている。

 “絶好調男”と呼ばれた中畑は内野のボール回しでさえも決して手を抜かない全力プレー、喜怒哀楽を前面に出すキャラクターで人気を呼んだ。本拠地・後楽園球場での「燃えろコール」はWBCの「山田哲人コール」と同じくらいの熱を帯びていた。労働組合日本プロ野球選手会の初代会長を務めた功績も忘れてはならない。

 ランキングの中で、原辰徳の低調が目に付く。大道典良(明野高校)などの6票に留まった。わずか3年前、46票も稼いでいた若大将の人気はなぜ、急激に下降したのか。

 常勝を宿命づけられた巨人は1984年の王貞治監督就任以来、3年連続でペナントを逃していた。これは2リーグ制以降、2度目の屈辱だった。1986年9月24日、原は広島との天王山で自己最多のシーズン36号を放つ。しかし9回裏、抑えの津田恒実の速球をファウルした際に完治していなかった左手首を骨折し、残り10試合を欠場。巨人はわずか3厘差で優勝を逃した。常にV9時代の王貞治、長嶋茂雄と比較された原には、ひ弱な印象が残り、メディアに「チャンスに弱い」と散々叩かれた。その影響が票数の少なさに反映されたのかもしれない。

 中畑と原の過去3年の成績を挙げてみよう(左から打率、本塁打、打点)。

1984年 中畑 .294、31本、83打点/原 .278、27本、81打点 
1985年 中畑 .294、18本、62打点/原 .283、34本、94打点
1986年 中畑 .273、14本、69打点/原 .283、36本、80打点 

 3部門×3年の9部門で、原が5部門で勝っている。しかも、1985年と1986年はホームランと打点で大きく差をつけたにもかかわらず、センバツ球児の人気では中畑が圧倒していた。ただ、絶好調男は明るいキャラクターだけで人気を得たわけではない。通算打率2割9分が示すように、実力も伴っての1位だった。

 パ・リーグで2年連続三冠王を獲得していた落合は4位。前年オフ、ロッテから1対4の大型トレードで中日に移籍していた。1987年の「好きな球団」でロッテは1票しかない。落合放出の影響もあったと考えられるが、そのチームに在籍していた主砲が「好きなプロ野球選手」で28票を集めての4位という事実は特筆に値する。堀幸一(長崎・海星)などセンバツ出場32校中19校の選手が落合の名を挙げており、全国的に人気を集めていた。

【次ページ】 1994年版「好きな野球選手」ベスト25

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