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「打つ方は魂が抜けている。でもね…」甲斐拓也の恩師が語る“キャノン”だけじゃない武器とは? 世界一に必要な「“さじぃ”キャッチャー」
text by
前田泰子Yasuko Maeda
photograph byCTK Photo/AFLO
posted2023/03/20 17:02
メキシコ戦で先発が予想される佐々木朗希(右)。前回登板したチェコ戦でマスクをかぶったのは甲斐拓也だ
福山スカウトは「ドラフトの一番下でいいから指名してください」と上層部を説得。そうして甲斐は、2010年ドラフトでソフトバンクからその年の最後の指名となる「育成6位」の指名を受けた。すでに多くで語られていることだが、この年の育成ドラフトには、今季からMLBメッツへ移籍した千賀晃大(同4位)、そして侍ジャパンでともに戦う牧原大成(同5位)の名が連ねられている。
今でこそ伝説となっている指名をこう振り返る。
「宮地さんから電話をもらわなかったら、甲斐を取っていなかったでしょうね。あのときは日本代表の正捕手になってオリンピックで金メダル、なんて考えてもなかったですから」
甲斐にとっては高校時代の苦い思い出だろうが、夏の県大会で初戦敗退したことが運命を手繰り寄せる大きな要因となった。もし目標だった甲子園にたどり着いていたら……少なくとも福山との出会いには導かれなかったかもしれない。
そのころ、大分を離れ他県で指導をしていた赤峰さんの言葉がその奇跡を物語っている。
「え、なんで甲斐がプロに指名されているの? ってびっくりしました。拓也と話してプロなんて言葉が出たことは一度もなかったですね」
「やんちゃな一面もあったけど、人間的にも成長した」
宮地さんは、ある甲斐の言葉が「うれしかった」と教えてくれた。
『僕は野球がすべてうまくてプロになったわけじゃない。プロにはエリート選手がたくさんいます。一つ言えるのは、僕は人に恵まれた。心からそう思います』
甲斐がソフトバンクに入団した時のドラフト1位には、同い年の捕手である山下斐紹が指名されていた。山下に負けたくないとがむしゃらにやってきた甲斐を、周囲の人が支え、育て励ましてくれたからこそ、球界を代表するキャッチャーに成長できたと宮地さんは力強く語る。
「高校時代はやんちゃな一面もあったんですが、人間的にも本当に成長したと思います。話をしていても言葉選びも間違えないし、人を傷つけるようなことは絶対に言わないですよ」
そして甲斐は今、大谷翔平ら世界最高峰のピッチャー陣を擁する侍ジャパンの捕手として、小さな身体と頭脳をフル回転させている。
「多分かなり緊張していると思うけど、そのために一生懸命準備してやる子なので大丈夫だと思います。普通に一生懸命やってくれたらそれでいい。最高の経験をしていますよ」
目指すは世界一。恩師は自慢の教え子がその目標を果たすことを楽しみにしている。
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