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「打つ方は魂が抜けている。でもね…」甲斐拓也の恩師が語る“キャノン”だけじゃない武器とは? 世界一に必要な「“さじぃ”キャッチャー」
text by
前田泰子Yasuko Maeda
photograph byCTK Photo/AFLO
posted2023/03/20 17:02
メキシコ戦で先発が予想される佐々木朗希(右)。前回登板したチェコ戦でマスクをかぶったのは甲斐拓也だ
打撃力が向上したことで、3年生になるころには“強打の捕手”として県内に知れ渡るようになった。もちろん、今や“甲斐キャノン”と呼ばれる強肩も当時から健在で、高校時代の試合で盗塁を許したことはほとんどない。
「相手の走者はほとんど走ってこなくなりました。走ってくれたら『ありがとう』っていうくらいでしたよ」(宮地さん)
そのころ、大分の高校野球関係者の間では「甲斐を乗せれば試合が早い」ともっぱら評判だった。強肩だけでなく、甲斐の強気で巧みなリードによって試合展開のテンポは速く、ロースコアの試合になればわずか1時間半で終了、ということも珍しくなかった。
甲斐が居残り練習する姿をよく見ていた当時のコーチ・赤峰淳さんはこんな表現をする。
「相手が嫌がることを見つけて工夫してやってくる。相手チームにとっては“さじぃ”キャッチャーだったと思います」
「さじぃ」とは大分の方言。「抜け目がない」「すばしっこい」という意味で使われるが、嫌な相手に対して使う否定的な意味も含まれる。捕手としては最大級の褒め言葉だろう。
夢破れた高3の夏「僕、どうしたらいいんですか」
当時の甲斐にとって一番の目標は甲子園出場。3学年上の兄・大樹が楊志館のエースとして立った舞台だったことも、その思いを強くした理由だ。
しかし、“最後の夏”は突然訪れた。甲子園をかけた夏の大分大会1回戦、別府羽室台に1―4とまさかの初戦敗退を喫したのだ。序盤に4点を失い、監督として指揮を執っていた宮地さんも「完全に焦ってしまった。ヤバいという雰囲気がチーム全体に漂っていましたね」と焦りを抑えられない展開だった。3番・捕手で出場した甲斐は1安打を記録したものの、チームを勝利に導けなかった。
甲子園の夢が消えたことで、甲斐少年の心は揺れ動いていた。
進路を決める面談で甲斐は宮地さんに「今から僕、どうしたらいいんですか」と泣きついた。あまりに突然だった高校野球の幕切れに、気持ちの整理がついていなかったのだ。
「3年生とは毎年面談をしますが、あんな子は初めてでした。野球のことしか考えてなくて、その先のことまで考えられず、どうしていいかわからなかったんでしょうね。そのとき、拓也をどうにかしてやらないかんな、と思いました」