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「すぐに満男さんに言わなきゃ!」活動12年“東北人魂”にいた石巻の小学生がJリーガーに…新築の家が全壊した少年を支えたサッカー教室
text by
佐野美樹Miki Sano
photograph byMiki Sano
posted2023/03/11 11:00
今季からベガルタ仙台でチームメイトになったMF遠藤康(34歳)とFW菅原龍之助(22歳)。遠藤らが宮城県石巻市で開催したサッカー教室に、小学生の菅原が参加していた
2011年3月11日。その時、菅原は宮城県石巻市に住む小学校4年生だった。
学校が早く終わった日で、放課後は当時通っていた、学校近くのそろばん塾にいた。そこで、激しい揺れに襲われた。
「そろばんをしていたらガーッと地震がきて……。そこからどうしよう、どうしようってなったんですけど、そろばんの先生が『学校にとりあえず行きなさい』って言ってくれたので、すぐに小学校に逃げました。僕の三つ上の兄も中学校が終わっていた時間だったので、小学校に避難してきて、そこに母も間に合って。その後は……学校から津波が来る様子を見ていました。車が流されたり、人が流されたりっていうのを見ていました」
菅原の家族は皆無事だったが、その津波でクラスメイトや友だちの親などが犠牲になったという。
地震発生から2日ほど、菅原はそのまま避難所となった学校で過ごした。
「まだその頃は道などに津波の被害にあった方の遺体があちこちに見受けられるとのことだったので、両親が僕たち子どもにショックを与えないように、先に自宅とその周辺の様子を見に行って、大丈夫そうだったら家に一緒に帰る、みたいな感じで、迎えに来てくれました」
建てたばかりの家は3カ月後に全壊
当時見た町の光景は鮮明に覚えているという。中でも菅原は両親に連れられて自分の家に戻った時のことは忘れられないと話す。
「実は、12月に建てたばかりの自宅だったんです。それが3カ月後には全壊になってしまった。新しい家が一気にぐちゃぐちゃになっていた姿は、目に焼き付いています。1階は水で埋まってしまった感じでしたが、それでも2階は住めるような状況だったので、それからは2階に住みながら1階を直す生活になりました」
電気や水道など、ライフラインの断たれた生活は5月まで続いた。親は家で火を起こしたり、修復作業をし、菅原は学校に支援物資を取りに行く係を務めていたそうだ。
「本当に、その2カ月は何もない日々を過ごしていました。被災してすぐの頃は『いつ学校始まるんだろう』とか、家の周りも本当に瓦礫がいっぱいだったので『これ、いつ直るんだろう』とか、時折ぼんやり考えたりしていましたね」