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「(栗山英樹さんは)朝4時までずっと野球の話をしていました」徳永有美キャスターが明かす“侍ジャパン監督の素顔”…第一印象は「困ったなぁ」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byJIJI PRESS/Yuki Suenaga

posted2023/03/15 11:02

「(栗山英樹さんは)朝4時までずっと野球の話をしていました」徳永有美キャスターが明かす“侍ジャパン監督の素顔”…第一印象は「困ったなぁ」<Number Web> photograph by JIJI PRESS/Yuki Suenaga

フリーキャスター徳永有美さん。23年前、テレビ朝日のスポーツ番組で栗山英樹さんとコンビを組んだ。“侍ジャパン監督の素顔”を明かす

「最初は野球のこともよく分からなかったので、何も口を挟めず、黙ってそこに居るだけ。『徳ちゃん居たんだ?』くらいの感じでした。透明人間のようでしたが、それは全く苦ではなく、栗さんの話を聞いているうちに色々なことに興味が膨らんでいったんです。少しずつ質問もするようになり、栗さんの考えも分かるようになってきました。私という人間を知ってもらうということも含めて、半年ぐらいかかったでしょうか。番組の中でもあうんの呼吸ができてきた。そうなった頃にはもう、すっかり栗さんの大ファンになっていました」

 深夜0時40分までの生放送が終わった後も、熱いトークは続く。時にスタッフルームで缶コーヒーを飲みながら、時に打ち上げの席でお酒を交えながら、野球談議が尽きることはなかった。

「放送後は、なんと、朝3時、4時までずっと野球の話をしていました。本当に驚くほど野球のことばかりなんです。試合の話、技術論、選手たちの人生、組織論や育成論に至るまで。時には『それは違う』、『俺はこうだと思う』とスタッフと喧々諤々、言葉を交わしていましたが、そんな時も栗さんは、人のことを決して否定することはなかったです。ただ、朝方まで熱い野球談議は続きましたが(笑)、あの場に居させてもらったことは、私にとってすごく貴重な、今思うと宝物のような時間でした」

「速報!スポーツCUBE」は1年で終了したが、その後も2人の縁は続いた。2004年には栗山監督が「報道ステーション」の野球コメンテーターに就任。徳永さんは05年までスポーツコーナーを担当し、息の合ったところを見せた。

「あの頃はもう“コンビ芸”も確立していたといいますか(笑)、安心して喋ることができました。(溢れるトークを止めるコツは?)顔ですね。“もうダメですよ!”という顔で」

 キャスター時代の栗山監督について、徳永さんが心を打たれたことの一つが、取材対象のアスリートに対し徹底的に真剣に向き合うという姿勢だった。

「選手への取材や下調べ、放送に向けての準備という点で栗さんは絶対に手を抜かない。選手のバックグラウンドを知り、そのプレーをできる限り見るなど、誠実に取材をされているといつも感じていました。どのようなコメント時でも、自分の言葉がどんな影響を与えるのか、というところまで気を配っているのが印象的でした」

「栗さんって、人との距離感がすごく近いんです」

 その背景にあるのが、栗山監督自身が歩んできた経歴だ。東京学芸大から1984年にドラフト外でヤクルトに入団。遊撃手として1年目から一軍デビューを果たしたが、その後はメニエール病や故障にも悩まされ、29歳で現役引退を決めた。通算7年で出場494試合。派手な数字とは無縁のプロ生活だった。

【次ページ】 「栗さんって、人との距離感がすごく近いんです」

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