プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
アントニオ猪木の格闘ロマンは“14歳の孫”に受け継がれ…「深く、深く感謝」「すべて真似しました」カメラマンが綴る「お別れの会」の情景
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/03/10 17:04
3月7日の両国国技館。アントニオ猪木の孫・猪木尚登さん(14歳)が、オカダ・カズチカとともに「ダァー!」を叫んだ
14歳の孫がオカダ・カズチカと「ダァー!」
アメリカ在住の孫、14歳の猪木尚登(なおと)さんはレスリングをやっていて、昨年11月には113ポンド級のロサンゼルス地区大会で優勝した。ムエタイや柔術も学んでいるという。母親の寛子さんがその時の写真を送ってくれた。その少年の丸刈りの頭が、猪木が子供の頃に坊主頭で祖父と写っている写真とダブる。
国技館のリングの前でオカダ・カズチカと共に「ダァー!」のパフォーマンスを見せた尚登さんは、約2時間後に、猪木が引退試合で着たガウンを手にして、リング上で藤田和之と記念写真に納まった。
ファンの献花は続いていた。
アントニオ猪木から孫に受け継がれるであろう格闘ロマン。
「夢とロマン」――新日本プロレスの道場にはこう書いてあった。
「古代パンクラチオンの時代から、人々は強いものへの憧れを抱いてまいりました」
猪木が「若獅子」と呼ばれた日本プロレス時代からNET(テレビ朝日)でプロレスの実況をはじめ、歴史的なモハメド・アリ戦も担当した85歳の舟橋慶一アナも会場にいた。「燃える闘魂」というフレーズで、猪木と新日本プロレスを盛り上げた功労者だ。
「偉大な人間を失ったな」
舟橋はしんみりと言った。
「猪木は真剣に戦ってきたんだよ」
そう言ったかと思うと猪木を思い出したように、舟橋はふと笑った。
「猪木がストロング小林とやった後のクリーブランド。1974年の3月だった。猪木が糸につけたアメ玉を振りながら近づいてきたんだ。『フナさん、これなんだかわかる?』って」
この時、舟橋は痔を患っていた。飛行機の座席に座るのさえ難儀していた。きょとんとしている舟橋に、猪木は得意気に言った。
「雨降って(アメ振って)地(痔)固まるっていうでしょう」
これもまた猪木だった。