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「レスラーに引退はないんだろうけど…」蝶野正洋がデビュー25周年で告白した闘魂三銃士への思い「スタートが一緒だからライバルになれた」
posted2023/03/06 17:02
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Toshiya Kondo
その経歴を描いた「[ナンバーノンフィクション]蝶野正洋の距離ーー闘魂三銃士の25年」(初出:Number1037号/2009年9月17日発売)を3回シリーズで特別に無料公開します。<全3回の3回目/#1、#2へ>
◆◆◆
その1カ月後、蝶野は橋本の体調がすぐれないことを人づてに知る。様子を見、また本人から聞くため、会うことにした。現れた橋本の顔色があまりにも悪いことに蝶野は言葉を失った。橋本は強いて笑みを作って見せた。
「心臓がよくない。でも、もうすぐ手術をするから心配しなくていい」
ZEROーONEをめぐるトラブルと、病を抱えながら、それでも橋本は復帰の道を模索していたのだ。
「蝶ちゃん、復帰できそうだったら、何か協力してくれ」
その言葉に蝶野も笑みを返した。復帰に向おうとする意志を聞けたのは何よりだ、と思いながら――。
しかし、これが橋本と会った最後になった。
橋本の訃報「自分の目で確認するまで、俺は信じたくない」
2005年7月11日の昼過ぎ、橋本の訃報が蝶野のもとに入ってきた。蝶野はすぐに妻のマルティナに声をかけた。
「ブッチャー(橋本)に会いに行こう。自分の目で確認するまで、俺は信じたくない」
神奈川県内の警察署に遺体があると聞いたので、そこに車を飛ばす。だが、到着すると遺体はなかった。そこには橋本の知人の男性がおり、経緯を教えてくれた。自宅で倒れて病院に搬送されたが、既に息を引き取った、ということを。
病院を経由して遺体のある斎場に向かい、やっと橋本と対面を果たすことができた。橋本が死んだ。実感はなくとも、現実として受け止めざるを得なかった。
告別式では蝶野が武藤とともに棺の先頭を持った。ずっしりと手に乗った棺の重さに、橋本との幾多の試合を思い起こす。並んでいる武藤も同じ思いを持っていたかもしれない。
橋本の死から4カ月後、新日本プロレスのオーナーである猪木が、保有株をすべてゲームソフト会社「ユークス」に売却したことが発表された。猪木の撤退は、ストロングスタイルの終焉も意味していた。
蝶野の体に異変が…
時が過ぎ、色々なことが変化していく。
2006年に入ると、不惑を過ぎた蝶野の体に異変が起きはじめた。突っ走ってきた代償を支払わされることになったのだ。左手がしびれて指すら動かせなくなったために、左ひじを手術した。翌年には半月板部分切除手術で左ひざにもメスを入れることになった。