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ミルコ・クロコップの左ハイは「芸術の域に達していた」…格闘技カメラマンが明かす“伝家の宝刀”の秘密「完璧に撮れたことは一度もない」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2023/03/05 12:20
2001年3月のピーター・アーツ戦でハイキックを繰り出すミルコ・クロコップ。この写真にも「完璧に撮るのが難しい理由」が隠されている
一方で、この日にミルコが試合をした記憶はあまりなく、撮影したフィルムを確認して思い出したほどだった。準々決勝でアーネスト・ホーストと対戦し、3ラウンドに右のローキックでKO負け。最後はその痛みから、相手に背を向けるミルコが切ない。ミルコはホーストと3度戦っているが、一度も勝つことはできなかった。
211センチのノルキヤが象のようにドスンと…
この試合を最後にシカティックと決別したミルコが再び来日したのは、3年後の1999年4月だった。現職の警察官ということもあり、リングネームも“ミルコ・クロコップ”に変えた。クロコップとは、クロアチアンコップを短くしたもの。読んで字のごとく、クロアチアの警察官というそのままの名称だ。
日本を離れていた間も、ミルコはアマチュアボクシングの代表メンバーとして試合をしていたそうだ。身体は一回りも二回りも大きくなっていた。何よりも、以前の自信なさげなミルコではなく、自分で道を切り開くかのごとく、堂々とした佇まいに彼の成長を感じた。カムバック戦の相手は身長211センチ、体重151キロのヤン“ザ・ジャイアント”ノルキヤ。かなりの体格差があったが、最後はミルコの左フックが炸裂。まるで象が倒れるかのようにドスンとダウンしたノルキヤは、動くことができなかった。
同年10月のK-1グランプリ開幕戦でミルコは、ノルキヤの兄弟子であるベルナルドと対戦。当時のベルナルドはアーツ、ホースト、フグらと並ぶK-1四天王と呼ばれ、グランプリでの優勝経験こそないが、ワンマッチでは最強と言われていた。しかしミルコは得意の左のハイキックからダウンを奪い、その後もパンチのラッシュで勝利。わずか80秒でのKO劇だった。
1997年からK-1グランプリの決勝大会は、12月に東京ドームで行われることが通例となっていた。この年も決勝の舞台は東京ドームで、ミルコにとっては初の会場だったが、臆することなど何もなかった。トーナメント準々決勝で武蔵を左アッパーでKOすると、続く準決勝ではサム・グレコからローキックでKO勝利。決勝の相手は、K-1デビュー2戦目で苦杯を舐めさせられたホーストだった。
グランプリの優勝経験もあり、トーナメントの戦いを熟知しているホーストと、若手のミルコでは経験値の違いは明らかだった。1ラウンドこそ互角だったが、2ラウンドからホーストは鞭のようにしなやかなローキックでミルコの脚を狙い撃つ。フットワークを殺されたミルコは終始後手に回り、自分の距離で戦えなくなっていった。