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「ミルコの膝で藤田の皮膚がえぐれて…」“プロレスハンター”ミルコ・クロコップは記者ともバチバチだった?「お前はどこを見ていたんだ」

posted2023/03/05 12:21

 
「ミルコの膝で藤田の皮膚がえぐれて…」“プロレスハンター”ミルコ・クロコップは記者ともバチバチだった?「お前はどこを見ていたんだ」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

2004年、インタビューに答えるミルコ・クロコップ。PRIDEの煽りVで発した「お前は何を言っているんだ」というフレーズはネットミームにもなった

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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Susumu Nagao

K-1で頂点を掴みそこねたミルコ・クロコップは、2001年、初めてMMAルールの試合に挑戦し、快進撃を続けていく。PRIDEに君臨する「人類最強の男」との対戦を目指すミルコの前に立ちはだかったのは、ブラジルが誇る柔術マジシャンだった――。フォトグラファーの長尾迪氏が、撮影者の視点からPRIDE全盛期の激闘を振り返る。(全3回の2回目/#1#3を読む)

 2001年8月19日に開催された『K-1 ANDY MEMORIAL 2001』は前年、白血病により他界したアンディ・フグの一周忌の追悼興行だった。と同時に、ミルコ・クロコップがMMAデビューを果たした大会でもある。ミルコはこの日を境に引退までの18年間、MMAルールで52試合を戦った。

膝蹴りで藤田和之の皮膚がえぐれていた

 K-1vs.猪木軍は3対3の対抗戦で、3分5ラウンドのPRIDEルールが採用された。K-1のレネ・ローゼがKOで、猪木軍のゲーリー・グッドリッジが関節技で勝利し、勝敗の行方は大将戦のミルコ・クロコップvs.藤田和之に委ねられる。下馬評ではMMAでの実績と経験値の違いから、藤田の圧倒的な有利と見られていた。ミルコがMMAの練習をしたのは3週間のみ。そんな付け焼き刃で、日本人最強と言われる藤田に勝てる訳がないと思われるのは当然のことだった。

 ミルコはお馴染みの入場曲『The Wild Boys』で先に入場。ただ、いつもと様子が違う。ガウンは着用せず、上半身は裸。キックパンツではなく、クロアチアの国旗をイメージしたスパッツを着用していた。ボクシンググローブではなく、オープンフィンガーグローブを付けたミルコはとても新鮮に見えた。

 大歓声の中、ゴングが鳴る。藤田はタックルへ入るフェイントで相手の反応を窺う。ミルコはタックルを切る小さな動作を見せるなど、非常に落ち着いた様子だ。藤田は3度目のタックルでミルコを捕らえてロープ際まで押し込み、テイクダウンに成功。しかし、横四方で押さえ込んだところでレフェリーが試合を止めた。藤田の顔面からは大量の出血。タックルのときにミルコの膝蹴りが藤田のこめかみ付近を直撃し、皮膚がえぐれていたのだ。ミルコはその返り血の量の多さに驚き、両手を横に振り無理だとアピール。藤田は試合続行を主張したが、ドクターが試合を止めた。

 わずか39秒での勝利だったが、この試合にはミルコの人生が凝縮されていると私は思う。少年時代は戦時下のクロアチアを生き抜き、21歳のときに日本でプロデビュー。K-1王者になるチャンスは何度もあり、周囲からも期待されたが叶わなかった。もうK-1で活躍するのは難しいだろうと思われたタイミングでMMAに挑戦し、デビュー戦で最強クラスの相手に勝ち切ってみせた。不屈の精神力と意外性。いい意味でも悪い意味でも常に我々の期待を裏切り、予想外の結果を見せるのがミルコの真骨頂ではないだろうか。

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