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ミルコ・クロコップの左ハイは「芸術の域に達していた」…格闘技カメラマンが明かす“伝家の宝刀”の秘密「完璧に撮れたことは一度もない」
posted2023/03/05 12:20
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph by
Susumu Nagao
まだ記憶に新しいカタールW杯でのクロアチアとの激闘。往年の格闘技ファンにとって、「クロアチア」と聞いて最初に思い浮かんだのは、間違いなくミルコのことだろう。
本名ミルコ・フィリポヴィッチ、リングネームはご存知ミルコ・クロコップ。代名詞でもある左のハイキックは日本刀のような切れ味があり、キックとMMAでKOの山を築いた。現役時代はその発言や態度から、ときに不遜で傲慢な選手だと見做されることもあった。だが、試合に対するストイックな姿勢やその人間性を知れば知るほど、彼のことが好きになったのは私だけではないと思う。
極端に口数が少なく、おどおどした若者だった
ミルコの初来日は、1996年3月のK-1グランプリ開幕戦。第1回K-1王者のブランコ・シカティックの愛弟子「ミルコ・タイガー」としてデビューした。私は試合の2日前に行われたオフィシャルのスタジオ撮影で、初めて彼に会った。私の英語は理解してくれるのだが、21歳のミルコは極端に口数が少なく、無表情だったことを覚えている。筋骨隆々の肉体とは対照的におどおどした印象で、群雄割拠のK-1でやっていけるのかと心配になったくらいだ。全盛期のミルコしか知らない人には、信じられないかもしれない。
対戦相手のジェロム・レ・バンナは前年のグランプリの準優勝者。ミルコをかませ犬としたマッチアップは明らかだったが、結果は違った。2ラウンド、組み合った一瞬の隙をついてミルコの左ストレートが炸裂してダウンを奪い、ミルコの判定勝利。私はバンナの動きに照準を合わせていたので、この瞬間は撮影できなかった。開幕戦は勝てたミルコだが、次戦のK-1グランプリは1dayトーナメント。優勝するためには3試合を勝ち抜く必要がある。当時のミルコは線が細く、グランプリの優勝はもとより、100キロを優に超す選手が集ったK-1ヘビー級で活躍するには体力的に難しいだろうと感じていた。
同年の5月のK-1グランプリは私にとって、最も印象的な大会だ。暴君と呼ばれるほどの強さを誇ったピーター・アーツをマイク・ベルナルドがKOして横浜アリーナが揺れ、決勝ではアンディ・フグがベルナルドをKOで破り初優勝、歓喜の涙が溢れた。選手も観客も一体となり、K-1の歴史の中でもナンバー1の大会だと確信している。