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ミルコ・クロコップの左ハイは「芸術の域に達していた」…格闘技カメラマンが明かす“伝家の宝刀”の秘密「完璧に撮れたことは一度もない」 

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長尾迪

長尾迪Susumu Nagao

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photograph bySusumu Nagao

posted2023/03/05 12:20

ミルコ・クロコップの左ハイは「芸術の域に達していた」…格闘技カメラマンが明かす“伝家の宝刀”の秘密「完璧に撮れたことは一度もない」<Number Web> photograph by Susumu Nagao

2001年3月のピーター・アーツ戦でハイキックを繰り出すミルコ・クロコップ。この写真にも「完璧に撮るのが難しい理由」が隠されている

 ミルコは試合開始早々、左手をぐるぐると回転させ、相手を挑発する余裕を見せる。だが、一瞬の隙を突かれ、クリンチの際に右のショートフックでフラッシュダウン気味に腰を落とす。ここがチャンスとばかりにマクドナルドが一気にラッシュを仕掛けると、右のアッパーがミルコの顎を捉えた。膝から力なく崩れ落ちるミルコ。10カウント内で立ち上がるが、足元が覚束ない。ふらふらの状態で試合は再開されたものの、すぐにレフェリーが試合を止めた。年末のグランプリに出場することさえできないという現実。K-1で優勝するというミルコの夢が、あっけなく潰えた瞬間だった。

 だが、この敗戦がミルコにとって人生最大の転機となることを、我々は後に知ることになる。

MMA出場は「ある種のスケープゴート」だった?

 2001年8月19日、アンディ・フグの追悼興行として『K-1 ANDY MEMORIAL 2001』という大会が開催された。メインイベントはMMA(総合格闘技)ルールでのK-1vs.猪木軍の3対3の対抗戦。ミルコは大将戦で、藤田和之との試合が組まれた。

 藤田は新日本プロレスを主戦場にしたプロレスラーだったが、MMAにもめっぽう強く、前年のPRIDEグランプリにも参戦。“霊長類最強”と呼ばれたマーク・ケアーなどの強豪を破るなど、日本人最強とも言われていたヘビー級のガチンコレスラーだった。格闘技関係者やファンの間では、ミルコに勝ち目はほぼないと見られていたし、私も藤田の勝利を確信していたひとりである。

 では、MMA初心者のミルコがなぜ藤田の相手に指名されたのか。すべては6月の試合に負けたことにある。年末のグランプリに出場できないミルコのK-1での立ち位置はトップグループではなかった。慣れないMMAとはいえ、アーツやホーストなどの一線級の選手が負けてしまえば「最強」を謳っているK-1のイメージダウンになる。ミルコなら負けても言い訳が立つ。言葉は悪いが、彼は対抗戦のスケープゴートとして指名されたのではないだろうか。

 しかし強い逆風が吹き荒れるときにこそ、ミルコはその実力を発揮する。

 K-1と猪木軍の対抗戦は1勝1敗で、大将戦のミルコvs.藤田を迎えることになった。

<#2、#3へ続く>

#2に続く
「ミルコの膝で藤田の皮膚がえぐれて…」“プロレスハンター”ミルコ・クロコップは記者ともバチバチだった?「お前はどこを見ていたんだ」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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