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競馬PRESSBACK NUMBER
「生卵を投げられ、ケチャップをかけられ…」日本で引退→アメリカに渡った女性騎手・土屋薫が振り返る「ケンタッキーで叶えた父の夢」
text by
大恵陽子Yoko Oe
photograph byNanae Suzuki
posted2023/03/05 17:01
1980年代に渡米し、ケンタッキーを拠点に263勝を挙げた土屋薫さん。日本で騎手を“引退”した後のアメリカでの日々について聞いた
土屋 あとから聞いたんですけど、そこで「いや、私はジョッキーだから」とホットウォーカーの仕事を断ったら3週間で終わりだったようです。でも、「はい、喜んで!」と引き受け、その後は厩舎の寝藁上げや馬の手入れなど何でもやりました。そうしたら、最後の日には追い切りに乗せてもらえて、「次はいつ帰ってくる?」と。日本に一旦帰国して、またすぐにアメリカに戻りました。
――ジョッキーだったプライドを捨てて、他の厩舎スタッフと同じように仕事をしたことがその先に繋がったんですね。その後はアメリカでのジョッキーデビューまでどういう道を辿ったんですか?
土屋 その厩舎で見習いジョッキーを半年しました。ビザの切り替えのために日本に帰国している最中に電話があって、「いつ帰ってくる? このレースに君を乗せるから」と言ってくださりジョッキーデビューが決まりました。嬉しかったですね。父もすごく喜んでいました。
田原成貴さんからもらったクッション
――待望の初騎乗はどうでしたか?
土屋 レキシントンに着いたその足で競馬場に行って、勝たせてもらいました。ロングショット(Long shot)と言って大穴だったんですけど、朝の調教で乗っていた馬なので癖をよく分かっていたんです。
実は日本でジョッキーをやっていた時、田原成貴さん(元騎手)が大井競馬場で交流レースに騎乗して帰られる際に「これ、いい物だから」と鞍下に敷くクッションをくださったことがありました。当時、地方競馬では手に入らない素晴らしい物で、アメリカでの初騎乗でもそのクッションを使って勝つことができました、
――天才とも称された田原成貴元騎手とそんな繋がりがあったんですね。
土屋 でも当時、お礼を言おうと思ったらサッといなくなっていて、何十年もお礼をお伝えできないままでしたが、つい数カ月前に島田明宏さん(作家)を通じてやっとお礼が言えました。田原さんは映画『ホワイトナイツ』での無駄がなくてキレのある踊りのように、馬の邪魔をしないフォームでした。あれを真似したかったんですよね。
第三次世界大戦が始まっちゃった
――思い出に残る初騎乗初勝利になりましたね。