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「寝床で冷たく…死因は栄養失調だった」“消えた天才騎手”がシベリアの強制収容所で迎えた最期…「最年少20歳でダービー制覇」前田長吉とは何者か?

posted2025/02/20 11:02

 
「寝床で冷たく…死因は栄養失調だった」“消えた天才騎手”がシベリアの強制収容所で迎えた最期…「最年少20歳でダービー制覇」前田長吉とは何者か? <Number Web> photograph by Sadanao Maeda

女傑クリフジとのコンビで1943年の日本ダービーを制した前田長吉。20歳3カ月での優勝は現在も残る史上最年少記録

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Sadanao Maeda

あまたの名馬と名騎手によって彩られてきた日本近代競馬の歴史。その裏側には、悲運に見舞われ、騎手人生をまっとうすることが叶わなかったジョッキーたちがいた。前田長吉、中島啓之、福永洋一、岡潤一郎。志なかばでターフを去った名手の足跡を追った。(全3回の1回目/中編後編へ)

「20歳3カ月でダービー制覇」前田長吉とは何者か

 終戦の翌年、1946年2月28日、シベリアの強制収容所で、ひとりの若き天才騎手が世を去った。

 前田長吉。

 1943年、女傑クリフジで日本ダービーを制し、20歳3カ月の最年少ダービー優勝記録を樹立したレジェンドである。

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 それから80年以上経つ今なお、前田の最年少ダービー優勝記録は破られていない――。

 若くして世を去った前田のプロフィールには不明な部分が多かったため、彼は長らく「謎の騎手」と呼ばれていた。

 競馬評論家の第一人者として知られた大川慶次郎は、著書『大川慶次郎回想録 まっすぐ競馬道─杉綾の人生─』に、前田についてこう書いている。

<彼は、クリフジとともに彗星のように現れて、消えてしまった人なのです。この人のことは、ほとんどの競馬資料をひっくり返しても、名前以外のことはまったく出てきません>

 そんな前田の存在が、21世紀に起きた「奇跡」により、一気に知られるようになる。

 2006年6月28日、青森県東南部をカバーするブロック紙「デーリー東北」社会面に、「伝説の騎手故郷へ シベリア戦没DNA鑑定」という見出しが躍った。

 同紙によると、厚生労働省による戦没者遺骨のDNA鑑定で、旧ソ連のシベリア・チタ州に抑留されて死亡した戦没者のひとりが、前田であることが判明したという。

 そして、同年7月4日、前田の遺骨は青森県八戸市是川の生家に「帰郷」した。多くの報道陣が取材に訪れており、県の職員から遺族代表の前田貞直(前田の兄の孫)への遺骨の「返還式」の模様は、新聞や雑誌、テレビなど、様々なメディアで報じられた。

 この時点で、海外には115万人もの戦没者の遺骨が残されており、2003年に始まった国費によるDNA鑑定で、身元が特定されたのは271人。うちひとりが最年少ダービージョッキーで、60年以上の時を経て「帰郷」したのだから、「奇跡」と言っていいだろう。

【次ページ】 名伯楽が大絶賛「天才騎手といえるほどの少年」

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