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競馬PRESSBACK NUMBER
「生卵を投げられ、ケチャップをかけられ…」日本で引退→アメリカに渡った女性騎手・土屋薫が振り返る「ケンタッキーで叶えた父の夢」
text by
大恵陽子Yoko Oe
photograph byNanae Suzuki
posted2023/03/05 17:01
1980年代に渡米し、ケンタッキーを拠点に263勝を挙げた土屋薫さん。日本で騎手を“引退”した後のアメリカでの日々について聞いた
土屋 初勝利を挙げて戻ってくると、他のジョッキーがみんな待っていて、なぜか生卵を投げられたり、ケチャップをかけられて「これは第三次世界大戦が始まっちゃった」と思いました(笑)。知らなかったんですけど、どのジョッキーでも初めて未勝利戦を勝つとやる風習だったようです。
――すごい(笑)。シャンパンファイトのようなお祝いの一環なんですね。アメリカはイタズラも激しそうです。
土屋 殿堂入りしているジョッキーでも色んなイタズラをしていました。ケンタッキーダービーが行われるチャーチルダウンズ競馬場は昔はジョッキールームに行くのに長いエスカレーターがあったんですけど、見習いジョッキーの男の子が水鉄砲で女性ジョッキーに水をかけたことがあったんですよ。その時、4人くらいいたんですけど、「全員、明日は水鉄砲を持ってくること。仕返ししてやる」って伝えて、私は電池で動く特大の水鉄砲を持って行きました。それが段々エスカレートして、しまいにはバケツで水をかけ合っていたら、エスカレーターのモーターが壊れちゃったんです。ジョッキー全員が並ばされて、ケンタッキー州の競馬を取り仕切る公正委員長から水鉄砲禁止令が出ました。
昼はオハイオ、夜はケンタッキー
――水泡に帰したわけですね(笑)。アメリカで馴染んでいたことが伝わってきます。騎乗依頼も増えていったのではないですか?
土屋 アメリカではオーナーか調教師が頼めばレース30分前にジョッキーを変えられるシステムがあります。最初の数年はビザの関係で一つの厩舎の競走馬にしか乗れませんでしたが、永住権を得てからは競馬場の検量委員に「空きがあれば何でも乗ります」と伝えると、そのシステムの後押しもあって、1日18レースに乗る生活がかなり続きました。昼はオハイオで乗って、ケンタッキーのナイターレースに乗る、といった風に。
――そんなにたくさんレースに乗れるなんて、夢にまで見た生活ですね。
土屋 朝の調教でも日本と違ってジョッキーは追い切りにしか乗らないのが基本的なんですけど、私は普段の調教も乗りたくて、なるべくたくさんの調教に乗せてもらっていました。オペラの歌手が朝、歌わないと声帯がほぐれないと言うのと同じで、私は調教に乗らないと体のコンディションを整えられないタイプなんですよね。
アメリカの競馬界で働く女性について
――アメリカでは競馬界で働く女性はどのくらいいますか?