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「あれだけ好かれた騎手はどこにもいなかった」24歳で死去“オグリにも乗った若手のホープ”岡潤一郎を覚えているか? 盟友が語る「最後のレース」

posted2025/02/20 11:04

 
「あれだけ好かれた騎手はどこにもいなかった」24歳で死去“オグリにも乗った若手のホープ”岡潤一郎を覚えているか? 盟友が語る「最後のレース」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

デビュー3年目の1990年、ユートジョージでNHK杯を制し重賞初制覇を飾った岡潤一郎(当時21歳)

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Naoya Sanuki

あまたの名馬と名騎手によって彩られてきた日本近代競馬の歴史。その裏側には、悲運に見舞われ、騎手人生をまっとうすることが叶わなかったジョッキーたちがいた。前田長吉、中島啓之、福永洋一、岡潤一郎。志なかばでターフを去った名手の足跡を追った。(全3回の3回目/前編中編へ)

同期は調教師に…24歳の若さで世を去った岡潤一郎

 2025年2月10日、最終レース終了後の京都競馬場の4コーナーに、調教師の千田輝彦の姿があった。

 千田は、写真立てと日本酒と線香を手にしていた。写真立てには、彼と競馬学校騎手課程の同期だった岡潤一郎が両手を腰にあてて笑う、色あせた写真が入っていた。

 岡は、1993年1月30日、京都芝2000mの旧4歳新馬戦の4コーナーで騎乗馬が故障を発生したため落馬し、2月16日に24歳の若さで世を去った。千田は言う。

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「毎年、関西の競馬は京都から始まるので、いつも正月にこうして会いに来ているんです。ジョッキーたちをよろしく、という意味で。今年は中京で開幕したので正月に来ることはできず、ぼくの厩舎の馬を最終レースに使ったタイミングに合わせて会いに来ました」

1年目から44勝、3年目にはオグリにも騎乗

 北海道の様似出身の岡は、1988年に栗東・安藤正敏厩舎の所属騎手としてデビューした。1968年生まれだから、千田より1歳上で、武豊や蛯名正義ら騎手課程3期生と同い年だ。願書を出すのが遅くなって締め切りに間に合わず、1年あとに入学することになったのだという。

 デビューした年、岡は44勝を挙げ、JRA賞最優秀新人賞を獲得。前の年に武が69勝という新人最多勝記録を樹立したばかりだったので目立たなかったが、武の前に記録を持っていた加賀武見の58勝が「不滅」と言われていたことを考えると、44勝というのが立派な数字であることがわかる。

 翌1989年は、札幌で5週連続騎乗勝利という当時の最多記録を達成するなど、46勝をマークした。

【次ページ】 盟友が語る最後のレース「救護所ではもう意識がなく…」

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