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「生卵を投げられ、ケチャップをかけられ…」日本で引退→アメリカに渡った女性騎手・土屋薫が振り返る「ケンタッキーで叶えた父の夢」

posted2023/03/05 17:01

 
「生卵を投げられ、ケチャップをかけられ…」日本で引退→アメリカに渡った女性騎手・土屋薫が振り返る「ケンタッキーで叶えた父の夢」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

1980年代に渡米し、ケンタッキーを拠点に263勝を挙げた土屋薫さん。日本で騎手を“引退”した後のアメリカでの日々について聞いた

text by

大恵陽子

大恵陽子Yoko Oe

PROFILE

photograph by

Nanae Suzuki

 今から37年ほど前、ようやく海外旅行が普及しはじめた時代にアメリカに渡り、騎手として活躍した女性がいる。彼女の名は、土屋薫さん。地方競馬の南関東では初となる女性騎手としてデビューし、キャリアを積んだ後にアメリカに渡ると、ダート競馬の本場・ケンタッキーを拠点に通算263勝を挙げる活躍を見せた。

 後編では日本で一度引退し、再スタートを切ったアメリカ時代を振り返る。(全2回の第2回/前回は#1へ)

ケンタッキーで1年間だけ頑張らせて

――1985年、アメリカで再スタートすることになりましたが、ライセンスなどの関係からいきなりジョッキーデビューは難しいと思います。きっかけはどう作ったのでしょうか?

土屋 日本の競馬専門紙『ダービーニュース』の社長さんに「3週間だけ預かってください」という旨の紹介状を書いていただき、ケンタッキー州レキシントンの厩舎に行きました。先方は私が元ジョッキーだと知っていましたが、まずはホットウォーカーという調教後に競走馬の呼吸が整うまで曳き運動をしてクールダウンさせる仕事を頼まれました。

――ケンタッキーといえばアメリカで最も伝統ある「ケンタッキーダービー」が開催されるなど競馬の聖地とも言える土地。そこを選んだ理由は?

土屋 アメリカで一度乗ってみたいっていうのは父の夢だったんです。選択肢は2つあって、チャンスが多い小さな競馬場で始めるか、チャンスは少なくても本場・ケンタッキーで頑張ってみるか。同じ試すなら、と思い、父に「レースに乗せてもらえないかもしれないけど、ケンタッキーで1年間だけ頑張らせて」と伝えました。

次はいつ帰ってくる?

――ジョッキー経験がありながら、馬に乗れずに曳き馬だけというのは葛藤がありませんでしたか?

【次ページ】 田原成貴さんからもらったクッション

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