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「首脳陣が仲の良いチームは弱い」元近鉄投手が語る対西武“10.12の裏側”…決戦直前に大ゲンカの仰木と権藤「早く決めてくれ」「黙ってろ!」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byNaoya Sanuki
posted2022/12/27 11:02
当時の近鉄監督・仰木彬(手前)とヘッドコーチ・中西太(奥)
「泣かなかったのは僕と加藤哲郎ぐらいでしたね。加藤は怒っていました。僕は野球で涙を流したことないんです。高校3年の夏の大会で負けた時も、泣きませんでした。小さい頃、原っぱで毎日野球して楽しかった。あの感覚が離れないんですよね。ずっと、野球は遊びだと思ってプレーしている。今でも草野球していますし、負ければ未だに悔しいですよ」
「リメンバー10.19」翌年も大激戦に…
『リメンバー10.19』を合言葉に、近鉄は常勝・西武に立ち向かっていく。翌1989年、南海から二冠王の門田博光を獲得したオリックスがブルーサンダー打線の異名を取り、開幕から首位を走る。王者・西武は扇の要である伊東勤をケガで欠いて開幕から低迷するも、6月末に加入したオレステス・デストラーデの活躍でパ・リーグの首位争いは三つ巴になった。
10月10日、近鉄は首位・西武との頂上決戦のため所沢に乗り込んで先勝したが、翌11日は雨で中止に。急遽、翌日のダブルヘッダーが決まった。1敗すれば優勝の消える『10.12』、仰木監督は球場に到着しても、高柳と阿波野のどちらを1試合目に先発させるか決めかねていた。
「10.12」直前に仰木&権藤のケンカ
「試合開始1時間くらい前に『2人ともマッサージしとけ』と言われて、ベンチ裏で筋肉をほぐしてもらっていたんですよ。何分かしたら仰木さんが来たけど、まだ悩んでいる。そこに権藤さんが押しかけて、『早く決めてくれ! 急に言われて投げられるもんじゃない!』と叫んだ。仰木さんも『黙ってろ! 今考えてるんだ!』と言い返して喧嘩になってましたね(笑)。結局、僕が第1試合の先発になりました」
高柳は初回に秋山幸二にタイムリー三塁打を浴び、2回には辻発彦に2ランを打たれ、わずか40球で降板した。
「悔しさしかないですね。辻さんは日本通運の先輩で、『10.19』の古川さんと同じで打っている印象しか頭になかった。ブライアントが(2試合目の第2打席まで)4連発打って、劇的な連勝をしましたけど、自分はうなだれていました」
2日後、藤井寺球場で仰木監督が宙に舞った。2年越しのリベンジを果たした近鉄は日本シリーズで巨人を迎え撃つと、シーズンの勢いそのままに3連勝して王手をかける。日本一をかけた第4戦、高柳は先発マウンドに上がるものと思い、意気揚々と東京ドームに向かった――。〈つづく〉
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