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プロ野球PRESSBACK NUMBER
元西武・辻発彦が明かす“一軍監督の苦悩”とは? あの中村剛也に命じた二軍行き、“走らない”森友哉への叱咤…「意地になっちゃう時もある」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2022/12/22 11:02
埼玉西武ライオンズの監督を今季限りで退任した辻発彦氏にインタビュー(後編)
2年目は「山賊打線」でリーグV
監督としての初陣は今も忘れられない。3月31日、日本ハム戦。先発の菊池雄星が好投。守備では、大谷翔平の二塁打を好捕したライトの木村文紀が、中継に入った浅村にレーザービームでつなぎ本塁で俊足の走者・西川遥輝を刺した。期待を託された源田も、中田翔の鋭い打球をダイビングキャッチし素早い送球でアウトに。8-1の完勝だった。
「こんな野球をしたいな、というものを全て選手がやってくれた。走塁でも、ボテボテの内野ゴロの間に中村が生還したりしてね。これなら、必ずいい戦いができるようになる。そう確信しました」
予感は、翌18年のリーグ制覇へと繋がる。浅村、秋山に加え覚醒した山川穂高の本塁打量産もあり、驚異的な爆発力を誇る「山賊打線」がチームを無敵に変えた。当時のチームを誇らしげに振り返る。
「終盤に強くて、大逆転勝利が何度もありました。後に他のチームでやっていた選手やコーチと話す機会があると、“あの時は何点リードしていても安心できなかった”と言われたものです」
あの中村剛也を二軍に…当時の“葛藤”
監督として悩みながら大きな決断を下したのもこの年だった。春先から絶不調で左肩も痛めたその年17年目のベテラン・中村に二軍調整を命じたのだ。
「やっぱり色々と落ちてきていてね。35歳のシーズンで年齢的にもうそろそろ……という感じがしていた。実績のあるベテランは本人に任せておけばいいんですけど、何かここで1つきっかけがないと、ロウソクの火が消えちゃうんじゃないかと。だから意を決して、“さんペい(中村の愛称)、下でやってこい!”って」
6月まで1カ月あまりの戦列離脱。二軍でも打てず苦しむベテランの姿があった。コンディション回復のため新たにトレーニングに取り組み、バットを何本も取り寄せて試し、打撃改造にも取り組んだ。一軍に復帰後も苦闘は続いたが、8月に6試合連続ホームランを放つなど夏場に復調。後半戦の大きな原動力になった。
「もう一度エンジンをふかして、1年でも長く野球をやるためにどうすればいいか、中村は自分を見つめ直したんだと思います。私自身、あの中村に8番打たせるなんてこと、本当にいいんだろうか、って悩んだこともありました。でもそこを乗り越えなければ中村は死んでしまう。あそこで踏ん張って結果を出して、最後は山川に代わって4番に入った。あれは転機だったと思います。中村は来年40歳でしょ? ここまで野球ができているんだから、あの時の決断は間違ってなかったな、と今では思います」
球団として2008年以来、10年ぶりとなるリーグ制覇。監督2年目で掴んだ優勝は、若手の煌めきとベテランのいぶし銀が共に輝く、結実の時だった。