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「ショボすぎて僕だけ選ばれてませんでした」“足が遅かった160cmの少年”はなぜ日本代表としてオールブラックスと戦えたのか?
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byKiichi Matsumoto
posted2022/11/09 17:00
NZ戦に途中出場したPR竹内柊平(24歳)。日本代表としては異色のキャリアを歩んできた男は、夢のW杯にたどり着けるのか
不断の努力は実った。2022年のリーグワン初年度では15試合に出場。するとリーグ終了後、日本代表の予備軍(NDS)に招集され、周囲をアッと驚かせた。プロップ歴4年の24歳が、日本代表「BRAVE BLOSSOMS」の候補生になったのだ。
「ノブジさんには初心者の状態から手取り足取り教えてもらって、ノブジさん自身もNDSのコーチとして参加したこともあって、特別な時間になりました。同期や後輩と一緒に厳しい自主練もやってきていて、それが実りました。嬉しかったです」
2022年6月18日は、格別の記念日になった。代表予備軍の一員ながら、ウルグアイ代表とのテストマッチに出場し、日本代表キャップを獲得。宮崎工業、九州共立大初のジャパンが誕生した瞬間だった。
しかし躍進は終わらなかった。
竹内は22年秋、ついに日本代表の本隊に合流する。
9月、浦安D-Rocksでの合宿中に緊急招集され、日本代表候補合宿に途中参加。最初は「練習生」だったが、秋の日本代表41人に見事に残った。日本代表のジェイミー・ジョセフHCが、竹内のボールキャリー、ジャッカル等のフィールドプレーを高く評価していた。
9月末、竹内は故郷・宮崎に日本代表として凱旋。日本代表恒例のキャンプ地「フェニックス・シーガイア・リゾート」に宿泊し、ホテル施設のエレベーターに乗った。ラグビー日本代表として、かつて「まったく取り柄がなかった僕」が歩いていた町を眺めた。
「(日本代表の宿泊先の)ホテルから実家が近くて、エレベーターに乗っていると見えるんです。懐かしいなと思いながら地元を見ていました」
無名校の代表としてワールドカップに出る
日本代表プロップの竹内は22年秋、欧州遠征前に3試合に出場した。ラスト3戦目の相手は、試合前の伝統舞踊「ハカ」で知られるW杯3度優勝のオールブラックス。後半32分から具智元との交代で途中出場。7点差(31-38)で決着する歴史的な舞台に参戦し、改築後の東京・国立競技場で最多となる6万5188人の前で、思い切り駆けた。
「スクラムは世界一のニュージーランドと組んでみて、僕の未熟さを感じました。ただフィールドプレーでは思い切りできたので、すごく良い経験になりました」(竹内)
トップリーガーになる。日本代表になる――言葉を現実に変えてきた好漢の次なる目標は、すでに明確だ。2023年のW杯メンバーに入る。しかし3番プロップの定位置争いはハイレベル。具智元、ヴァル・アサエリ愛、垣永真之介、木津悠輔……。だが竹内には有言実行の実績がある。
そして、挑み続ける理由もある。
「僕が頑張る理由は、自分が上にいったら無名校の生徒の自信になると思っているからです。僕が一番強いと思っている浦安D-Rocksのフロントローを代表する気持ちもあります。無名校の代表として、浦安D-Rocksの代表として、ワールドカップに出ます。それが自分の決意です」(竹内)
竹内のいう「無名校」の後輩たちへ、託したい言葉を尋ねた。飾る気のまったくない、等身大の言葉が返ってきた。
「まだまだここで止まる気もないですし、みんなの模範になれるよう戦い続けます」
続けて放った最後の一言が竹内らしかった。
僕に出来たんだから、みんなにも出来ると思います。お互いに頑張りましょう。
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