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プロ野球PRESSBACK NUMBER
“ドラフト最下位の男”が日本シリーズで好投…9年前、宮城の“小さな町”で発掘したスカウト「見つけてもうた!と叫んで鳥肌が…」
text by
樫本ゆきYuki Kashimoto
photograph bySankei Shimbun
posted2022/10/28 11:03
2013年ドラフトで楽天から9位指名を受けた今野龍太。左は上岡良一スカウト、右は安部井寛スカウト部長(いずれも当時)
「岩出山を選んだのは自転車で10分と近いし、兄姉も通っていたから。近くの古川学園とか大崎中央、公立強豪校の利府高校に行くことは全く考えていませんでした。高校卒業したら普通に地元企業に就職しようと思っていました。
高3の春は、どうしても試合に出たかったので、チラシを配って新入生を勧誘しました。6人入って11人になったので、春の大会に出られた。そしたら北部地区の大会でまさかの準優勝を果たして、県大会に出場できたんです。そこからですね、卒業後も野球を続けてみようかなと思い始めたのは」
高3春に部30大会ぶりの県大会に出場するが、ドラフト候補と呼ばれるような華やかな個人記録は特になし。自分を過大評価しなかったことで、チームの勝利を最優先に考え、仲間のために地道な努力ができるピッチャーになっていった。そして、“誰にもみつからずに”高3夏の宮城大会を迎え、2回戦(米谷工)では6打者連続を含む16奪三振とノーヒットノーランを達成。3回戦(聖和学園)で毎回の12三振を奪うも敗退するが、3回戦進出は同部史上最高戦績。敗戦後のインタビューでは「いつかプロでやりたい」と、初めてプロを意識した言葉を発している。過小評価からの脱皮を遂げた瞬間だった。
「育ててくれた楽天には感謝しかありません」
その秋、3球団が今野に興味を示していることを踏まえて、監督の相原は今野の意思を尊重しプロ志望届を提出。今野は当時のことを「プロも正直、僕みたいな掘り出し物が欲しかったと思うんですよね。あの時はダメもとでいいやと思って、誰だこいつ? みたいな隠し球として指名されたいと思っていました」と振り返る。そして楽天9位指名に至ったのだ。
右膝のケガもあり楽天での6年間は活躍することはできなかったが、今野は「育ててくれた楽天には感謝しかありません」と強調する。1年目のキャンプで一軍ブルペンに立った時、隣で投げる松井裕樹の佇まいを見て圧倒された。<同じ三振記録でも、こいつは甲子園(22K)で、自分は県大会2回戦(16K)かよ……>と格差を感じた。それでも腕を振って150キロに迫る速球を投げた。楽天担当記者が「なんだこのドラキュー(ドラフト9位)は!」と色めき立ったときは「上岡さんに恥かかせなくてよかった」とホッとしたと言う。その後も、周囲への感謝を忘れることはなかった。宮城大会100回大会のときは高野連からの依頼で開幕試合の始球式を引き受けている。