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プロ野球亭日乗BACK NUMBER
穴があるのに魅力満点! CS逃しの巨人でアダム・ウォーカーはなぜ愛されたのか? 本人が明かす「ジャパニーズ・ドリームと徹底リサーチ」
posted2022/10/06 17:19
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Nanae Suzuki
5年ぶりにBクラスの4位に沈み、クライマックスシリーズ進出を逃した2022年の巨人。明るい話題がほとんどないままにシーズンを終えることになったが、その中でファンの心に強いインパクトを残した数少ない選手の一人がアダム・ウォーカー外野手だった。
米国出身選手でメジャー経験はなしという巨人の外国人選手としては珍しい経歴の持ち主で、移籍直前の21年は独立リーグ、アメリカン・アソシエーションのミルウォーキー・ミルクメンに所属していた。20年には57試合の短縮シーズンだったが22本塁打を放って、リーグの本塁打王とシーズンMVPを獲得。21年には打率3割2分でリーグ新記録となる33本塁打、101打点を記録して2年連続の本塁打王とMVPに輝いた。
その桁外れのパワーに注目した巨人は、21年オフに単年の推定年俸30万ドル(当時のレートで約3400万円)で契約。ところが来日してみると、外野の打球を追う足取りも蛇行し、捕球すれば今度はスローイングでボールをグラウンドに叩きつけ、大暴投する拙守ぶりばかりに注目が集まる時期もあった。ただその一方で打席に立つと、スイングスピードの速さと圧倒的な飛距離には目を見張るものがあった。
そこで開幕直後から原辰徳監督は亀井義行外野守備走塁コーチにマンツーマンでの守備練習を課しながら、打撃を生かして一軍の試合で使うことを決断した。結果として22年シーズンは124試合に出場して打率2割7分1厘、23本塁打で52打点を記録。何よりファンを惹きつけたのは、亀井コーチとマンツーマンで練習に取り組み、次第に守備でも成長していった姿だった。
ジャパニーズ・ドリームを追ったウォーカーの1年を、本人への直撃インタビューをもとに2回に渡って振り返る。(全2回の1回目/#2へ)
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「最初は不安だらけだった。(新規ビザ取得した外国人の入国制限で)チームに合流するのも遅れたし、アメリカでミニキャンプをしていたけど、チームのスプリング・キャンプには参加もできなかった。あとジャイアンツで自分がどんな役割を担うのかも分からなかったしね。でも結果的には、1軍で多くの試合でプレーできたことは本当にハッピーだったし、いいシーズンになったのかなと思います。ただまだまだ課題は残っていて、シーズンを終わったいまは、来年にはそういう部分を改善していかなければならないと思っています」
ジャイアンツでプレーできるかも…飛び上がるほど嬉しかった
こう語るウォーカーは1991年10月18日、米・ウイスコンシン州ミルウォーキーで生まれた。地元の高校からフロリダ州・ジャクソンビル大学を経て、2012年のMLBドラフト3巡目(全体97位)でミネソタ・ツインズに入団したのが、プロでの波瀾万丈のキャリアのスタートだった。