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「いったいコヌマは何年間、高校の指導者をやってきたんだ!」オシムは選手権を見てなぜ激怒した? 帝京の名将・古沼貞雄に伝えていた高校サッカーの問題点 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byTakao Yamada

posted2022/09/03 17:01

「いったいコヌマは何年間、高校の指導者をやってきたんだ!」オシムは選手権を見てなぜ激怒した? 帝京の名将・古沼貞雄に伝えていた高校サッカーの問題点<Number Web> photograph by Takao Yamada

2004年、ジェフユナイテッド市原(当時)を率いた時のオシム。帝京元監督の古沼貞雄さんとはよく食事に行く仲だった

鼻水をたらしながら指導、夜はトランプゲーム

 アンタルヤは合宿地としても知られ、2月頃にはヨーロッパ中のクラブが集まってきていたという。ある日の練習試合は夕方の17時頃から行われ、先に控え組がグラウンドに入り、レギュラー組は19時キックオフ。アンタルヤの2月は夜間の冷え込みが厳しく、みぞれが降っていた。古沼さんは暖を取れる小屋から試合を眺めていたが、オシムは寒空のもと、鋭い目でじっとピッチをにらんでいた。

「厚手のベンチウォーマーのような物を羽織っていても鼻水をたらしていました。寒さに負けない指導熱はすごかった。21時くらいにホテルに戻り、熱いシャワーを浴びてから夜の食事を取っていました。それで寝ればいいものを、22時からトランプゲームですよ。私はルールがよく分からなかったので参加しませんでしたが、決まったメンバーで24時くらいまで必死にやっていました。体力は尋常ではなかった」

オシムを襲った突然の病魔、最期となった対面

 ただ、鉄人のような男も病魔には勝てなかった。06年7月、ジェフユナイテッド市原・千葉を退任して日本代表監督となり、1年余りが過ぎた頃だ。07年11月16日、千葉県内の自宅で脳梗塞で倒れ、浦安市内の病院に緊急入院。その翌年、古沼さんは都内でリハビリに励む、オシムのもとへ見舞いに行ったことがある。

「病院関係者に言われましたよ。『オシムさんはすごい人ですね』って。その数年前に同じ病院でリハビリをしていた長嶋茂雄さん(現読売ジャイアンツ終身名誉監督)以上に努力していると。病室も長嶋さんが使っていた部屋だったとか。オシムとは1時間くらい話しました。『古沼、わざわざ来てくれてありがとうな』というようなことを言われたと思います。対面で話したのは、あれが最後だったと思います」

 オーストリアに帰国して以降は、メディアを通してオシムの言葉を見るのがほとんどだった。

ときには故郷に残してきた娘さんの話も聞きました

 2022年5月1日、自宅のあるオーストリアのグラーツで死去した知らせは、テレビのニュースで知った。オシムと過ごした約2年半をふと振り返れば、思い出すのは食事をしながらよく聞いたよもやま話ばかり。『オシム語録』として残るような文句は、あまり記憶にない。

【次ページ】 オシムが高校サッカーを見て、激怒した“あること”

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