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「いったいコヌマは何年間、高校の指導者をやってきたんだ!」オシムは選手権を見てなぜ激怒した? 帝京の名将・古沼貞雄に伝えていた高校サッカーの問題点 

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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photograph byTakao Yamada

posted2022/09/03 17:01

「いったいコヌマは何年間、高校の指導者をやってきたんだ!」オシムは選手権を見てなぜ激怒した? 帝京の名将・古沼貞雄に伝えていた高校サッカーの問題点<Number Web> photograph by Takao Yamada

2004年、ジェフユナイテッド市原(当時)を率いた時のオシム。帝京元監督の古沼貞雄さんとはよく食事に行く仲だった

「いざ本格的な練習が始まれば、どの練習も球際が激しくてね。メニューも次から次に効率よく回転させて、無駄がなかった。新鮮味はありましたが、ゴール前での『4対4』などの練習を見ていると、帝京時代にやってきたことは間違いではなかったなと思うこともありました」

名将が目撃したオシムのタフさとサッカーへの情熱

 週末になれば、ホームの市原臨海競技場、フクダ電子アリーナに毎回のように足を運んだ。

 しばらくしたある日、試合後に祖母井GMから誘われ、浦安市内の中華料理店「泰興」に出向くと、オシムも席についていた。通訳役となった祖母井GMを通じて、会話をかわしたものの、特別なことを話したわけではない。古沼さんはオシムよりも2歳上。同世代の指導者同士、意気投合する部分があった。

 この日を境にホームゲームの後は、浦安市内でともに食事する機会が増えた。オシムはタフだった。17時キックオフの試合後、ミーティングもしないで自宅に飛んで帰り、次節の対戦相手の試合をテレビでチェック。その後から浦安の街に出て、一緒に食事を取った。21時半頃から焼肉屋でせっせと肉を焼き、お気に入りの冷酒をあおりながら話し続けた。酒を飲まない古沼さんはジンジャエールとコーラで最後まで付き合い、解散するのは24時頃。店の前で別れるときも、オシムはまだ元気だった。

「深夜に家に戻って、午前3時頃からヨーロッパのサッカーを観ていたんですから。それで翌日の朝にはしっかり起き、午前の早い時間帯から練習場に顔を見せて、試合に出ていない選手たちのトレーニングマッチに目を凝らしているんですよ。ウサギのような真っ赤な目をしながらね。60歳を過ぎていたのに、あんなJリーグの監督は、あまり見たことがなかった。私もスタミナはある方だと思っていましたが、オシムには驚かされました」

ジェフのトルコキャンプに帯同

 古沼さんの行動力も目を見張るものがあった。2006年のシーズン前、ジェフユナイテッド市原・千葉のトルコキャンプにまで帯同。祖母井GMに「俺も見に行ってもいいかな」と相談し、まるで国内の合宿に付いていくように地中海沿岸の都市アンタルヤまで飛んで行った。数日遅れて到着した古沼さんは、ホテル前のグラウンドで朝から走り込んでいる姿に衝撃を受けた。トレーナーが先頭になり、ボールを蹴る前に1時間近く、走らせていた。3部練習も当たり前。ランチタイムに練習試合のスケジュールが決まることも珍しくなかった。昼食を取りながら、他チームの監督と話をつけるのだ。

「『きょうの夜、1試合やるか』という具合でした。当日に試合を組むなんて、日常茶飯事でしたよ」

【次ページ】 鼻水をたらしながら指導、夜はトランプゲーム

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