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「遅いですよね」36歳の苦労人・ロッテ荻野貴司がプロ13年目で到達した“1000本”の重み《あの最強助っ人を抜く新記録》
text by
千葉ロッテマリーンズ取材班Chiba Lotte Marines
photograph byKYODO
posted2022/08/15 11:02
8月10日のソフトバンク戦で1000本安打を達成したロッテ荻野貴司(36歳)
高校は、一般入試で奈良県立郡山高校に進学した。県立校で私立の強豪校を倒したい――それが荻野にとって一番「自分らしい」選択だと思えた。
強い信念の下、高3夏は奈良大会決勝まで勝ち進んだが、最後に立ちはだかったのは名門・天理高校だ。荻野は3番・ショートででスタメン出場したものの、力およばず3-8で惜敗を喫し、夢を叶える事ができなかった。ただ、高校3年間は自分で決めた目標に邁進し、充実した時間を過ごすことができた。そこから「自分らしく」という言葉はより深く刻まれていったと荻野は振り返る。
その後、関西学院大学、トヨタ自動車を経て、2009年のドラフト会議でマリーンズから1位指名を受けた。プロに入った時点でも決して体格的に恵まれているわけではなかったが、持ち前の俊足を生かして生き残りを誓った。
プロ初安打はセーフティーバント
2010年3月20日、まだ寒さが残る適地・西武ドームでの開幕戦でルーキー荻野は2番・センターでプロ初スタメンを飾る。第3打席に相手先発の涌井秀章(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)から、セーフティーバントでプロ入り初ヒットを記録。俊足を武器に躍動する荻野の姿は誰から見ても前途洋々に映った。
しかし、荻野を待ち受けていたのは試練だった。
ルーキーイヤーの10年はチームは首位を突っ走ったが、毎日の激走に右ひざがパンクし、夏の交流戦途中にリタイヤ。46試合の出場で打率.326、1本塁打、17打点、25盗塁という鮮やかな数字だけを残し、新人王の本命と目されながら一軍の舞台から姿を消した。
半月板や軟骨を痛め、荻野は3度も右ひざにメスを入れている。その後もリハビリを終えて一軍に戻っては、右ひざをかばったことで何度もケガに悩まされるシーズンが続く。13年には右足肉離れ、14年には左肩骨折、15年には左足肉離れ、16年には脇腹を肉離れと、離脱を繰り返した。