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ぶら野球BACK NUMBER
トホホ…巨人助っ人“残念伝説”「クロマティになれなかった男たち」まさかのヒーローインタビュー拒否事件、メジャー本塁打王も1年でクビ
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2022/06/01 17:10
1993年に来日したジェシー・バーフィールド。86年にア・リーグ本塁打王を獲得しているだけにその期待は高かったが…
親指のネンザで一時帰国…
だが、2年目の93年は右脇腹挫傷で戦線離脱。さらに復帰後は軽傷なはずの右足親指ネンザの検査で一時帰国してしまう。残念ながら、すでに身体は満身創痍だった。なんとかもうひと頑張りさせようと、長嶋茂雄監督も気を遣い、活躍したら監督賞でモスビーの趣味の盆栽をプレゼントすることを約束。全国のコンクールに出したほどのン百万円もする逸品だという。故障明けの本人も乗り気で「コケは英語でモス(MOSS)って言うんだ。モスビーがモスを探すというのも面白いよネ」と全然面白くないコメントをかましたが、最後まで来日1年目の輝きは戻らなかった。
その代役で途中獲得したミッキー・ブラントリーもまったく戦力にならず、モスビーもわずか37試合の出場で打率.246、4本塁打。夏場には構想外となり、2年限りで退団する。このとき、首脳陣もファンも瞬間的な爆発力と継続力を併せ持っていたクロウの凄さを再認識することとなる。なんでもないようなことが幸せだったクロマティ……である。
【3】バーフィールド「メジャー本塁打王なのに…」
さて、長嶋茂雄監督が13年ぶりに現場復帰した93年には、超大物大リーガーも来日していた。モスビーのブルージェイズ時代の同僚、ジェシー・バーフィールドである。メジャー通算241本塁打、86年に打率.289、40本塁打、108打点の好成績でア・リーグ本塁打王を獲得した男が、1年契約の年俸170万ドル(当時のレートで約2億2000万円)で巨人入り。86年の日米野球で来日選手最高の打率.450、4本塁打を残し、ファミコン野球ゲームの雄『ファミリースタジアム』87年版の最強球団メジャーリーガーズでも、52本塁打の大砲「ばふい」で登場した超大物だ。そんな33歳の大砲が東京へやってくる。
92年はわずか30試合の出場で2本塁打と、5月に手術をした左手首の状態が不安視されるも、『週刊ベースボール』によると長嶋監督は旧知のデトロイト・タイガースのスパーキー・アンダーソン監督に直接電話をかけて、「スパーキーも手首が大丈夫ならかなりやるぞ、と言っていました」と状態を確認した上で獲得にゴーサインを出したという。
「強肩で、盗塁も20個できる。守りでもアシスト(補殺)が多い。すべての人がコンプリート・ベースボールプレーヤーと評価してくれる。よく言わせてもらえば、そういうことだよ」
本人も来日時にそう自信を語り、西武とのオープン戦では相手エース渡辺久信の高めのストレートを強振すると、打球は大きな弧を描いて左中間スタンドへ。渡辺は「確か日米野球でも完ぺきに打たれたんですよ。(横浜の)ブラッグスより上かって? うん、もう全然」なんて脱帽した。