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ぶら野球BACK NUMBER
トホホ…巨人助っ人“残念伝説”「クロマティになれなかった男たち」まさかのヒーローインタビュー拒否事件、メジャー本塁打王も1年でクビ
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2022/06/01 17:10
1993年に来日したジェシー・バーフィールド。86年にア・リーグ本塁打王を獲得しているだけにその期待は高かったが…
まさかのヒーローインタビュー拒否事件
91年7月11日、札幌での広島戦では連続セーブ記録を更新中の大野豊から逆転のサヨナラ3ランを叩き込むも、無表情でダイヤモンドを一周し、チームメイトからの祝福もスルー。ヒーローインタビューも拒否して荷物をまとめて帰りのバスへ一直線(のちに本人は「打順が七番に下げられて自分に腹が立っていた」と明かしている)。夏にはカナダの『トロント・スター』紙で、「大リーガー、バンザイ野球にカルチャーショック」と題したインタビュー記事が掲載されてしまう。
「日本野球には“休む”という言葉がない」「三振の半分は見逃しだ。ホームベースでワンバンしたままストライクと言われたこともある」「もう日本野球に合わせるのはやめたよ」と不満をぶちまけるブラッドリー。これに対して球団側も「不満を言える立場かどうか禅寺にでも行って、自分の胸に手を当てて考えるべきだ」なんてニックネーム“修行僧”にかけて応戦し泥沼化。
結局、信頼を失ったブラッドリーは、打率.282、21本塁打、70打点とそれなりの成績を残したが、わずか1年で東京を去った。自分の前任者が球団史上最高の助っ人にして人気者。周囲もまだその記憶が鮮明な分、なにかと比較される“クロマティの後継者”の不運はあった。
【2】モスビー「背番号49の後継者だったのに…」
この反省を生かし、巨人が92年開幕直後に年俸80万ドル(1億400万円)で緊急獲得したのが陽気なロイド・モスビーだ(ときに報道陣に対して激怒する神経質な一面が分かるのはもう少しあとのことである)。80年代にトロント・ブルージェイズのレギュラー外野手としてプレー。メジャー通算1494安打、169本塁打、280盗塁の実績を誇る32歳の外野手は、デトロイト・タイガース時代の同僚ビル・ガリクソン(元巨人)やセシル・フィルダー(元阪神)に日本のことを聞いたら、いい印象を持っていたので、前向きな姿勢で来日できたという。
大リーグではすでにロートル扱いのベンチ要員だったが、オレはまだできるし、毎日試合に出たいから巨人に来たと意気込む身長190cmのスラッガーは、合流するなり貧打解消の救世主となる。前年、計三度の故障者リスト入りと慢性化した右ヒザ痛の状態が不安視されるも、デビューから15試合で7本塁打を放ち、一発を放てばチームは負けない不敗神話が定着。左打ちの外野手で背番号もクロマティと同じ49。
同じ頃、事業のPRで来日した先輩クロウも「モスビー? 彼がどれくらい日本でやるかって? そんなことはオレに聞いてもわからないさ。ただ、ジャイアンツにとって役に立つ選手であることは間違いないだろうな」とその実力を認めた男は、5月12日には早くも巨人軍第56代四番打者に座り、プロレスラーの中邑真輔ばりにクネクネ動く独特のアクションも人気に。趣味の盆栽と好物のコーベビーフに元気を貰い、1年目は96試合で打率.306、25本塁打、71打点と合格点の成績を残した。