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鈴木誠也18歳、父から銭湯で「広島の人間になれ」東京下町育ちの少年はなぜカープで愛された?「初優勝後に鳴った深夜2時の電話」
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph bySankei Shimbun
posted2024/04/12 17:02
入寮時に親に買ってもらった香水を手に笑顔を見せる鈴木誠也(2013年1月)
プロ入り直後の日南キャンプ。オープン戦で誠也は外角ギリギリの球をストライクと判定されると、1年目とは思えぬ鋭い眼光を審判にくれた。
“凡退すると人を殺すような目になる”
あるコーチがそんな証言をするほど、誠也は1打席の凡退に尋常ではない悔しがり方をした。1年目でも二軍戦でも関係ない。「俺には時間がない」「1打席1打席が勝負」。誠也は貪欲に結果を追い求めた。灯りの消えた室内練習場ではいつまでも誠也のバットを振る音が響く。広島でプロになった誠也にはそれだけの覚悟があった。
「健の家、行っていい?」「サイゼリア行こう」
2014年1月に大好きだった祖父の信美が亡くなると、シーズン終了後には実の家族のように慕っていた松村の父親が突然亡くなってしまう。引き裂かれそうな悲しみに直面した誠也は、それでも町屋へは帰らず、野球に集中することを選んだ。
年の暮れ。誠也は帰省するなり真っ先に松村の家を訪れ線香をあげた。
「あれから帰って来る度に毎回、必ず線香をあげてくれるんです。外で会って別れようとしても『健のうち、行っていい?』ってわざわざ家に来て。そういう奴なんです」
その年のシーズン後半には一軍に定着し、プロ初本塁打。CSでスタメンのチャンスを掴んだ誠也は、オフの21U野球W杯で首位打者とベストナインを獲得。3年目には開幕スタメン、そして今年、オリックス戦での2試合連続サヨナラを含む3試合連続決勝本塁打に、打率も首位打者を狙える位置まで上昇。しかし、松村は誠也の活躍を冷静に受け止める。
「正直、これぐらいはやれると思っていました。本人は照れ屋だし謙虚に言うけど、自信は相当あると思いますよ。でもどんなにすごい選手になっても、誠也は誠也です。驕ったり天狗になることもない。今でも東京で試合が中止になれば『今から健の家、行っていい?』と電話が来ますし、夜中に『腹へった、サイゼリヤ行こう』って普通に行きます。『この前、凡退してみんなに“お前ゴミってるな”って言われた』とか言って(笑)。でもオフに家に泊まりに来ても『ちょっとバット振って来る』と言ってからの顔はまるで違いますからね」
これらの証言について、誠也を直撃した。