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「プツンとキレて、席を立ち去りました」マイク仲田(57)が明かす“阪神からFA移籍”の真相…掛布雅之は「マイク、大人になれ」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2022/04/21 11:01
元阪神・仲田幸司の覚醒は、なぜたった1年で終わったのか?(写真は1985年)
「スライダーを投げると、バッターの手前ではなく、早い段階で曲がるようになり、相手に軌道が見えやすくなってしまった。腕が振れていなかった」
投げる度に「こんなはずではない」という思いが募り、さらなる迷いを生んだ。開幕投手に選ばれるも3回5失点でノックアウト。その後も調子は上がらず、3勝12敗でチームもBクラスに逆戻りした。翌年は7勝を挙げるも、95年は0勝2敗に終わった。
95年オフ、契約更改で事件は起きた
仲田は自分の立場を理解していた。FA権を取得したが、「再契約金はいらない。阪神に骨を埋めたい」と契約更改に赴いた。しかし、球団代表に「これはFA権やない。単なる紙切れや」と辛辣に切り捨てられ、気持ちがプツリと切れた。取材中、終始柔和に話していたマイクの表情が険しくなり、語気が強まった。
「僕は阪神が好きでしたから、残りたかったんです。それなのに、紙をポーンと放られた。プツンとキレて、席を立ち去りました。待っていた記者陣に『すいませんけど、“紙切れ”言われたんで帰ります』とぶっきらぼうに話しました。翌日、スポーツ紙の1面になって、球団に呼び出しを喰らった。代表は『そんなこと言うてない』『いや言うたやないですか』と水掛け論ですよ。『FAするんやろ? 全面的に協力するから、聞き間違えたと撤回してくれ』って」
マイクは呼び出しの前、掛布雅之に相談していた。人生の酸いも甘いも知り尽くしたミスター・タイガースは「マイク、大人になれ。長いものには巻かれとけ」と諭した。
「掛布さんの言葉があったから、最終的には『聞き間違いだった』とマスコミに言いました。それでも、腹の虫は収まらなかった。阪神を悪く言うつもりはないです。ただ、FA行使にはそういう経緯がありました」
ロッテに移籍。キツい痛み止めを飲んで…
仲田は覚醒した92年にシーズンを通して指導を仰ぎ、当時ロッテでゼネラルマネージャーを務めていた広岡達朗に請われてFA移籍した。しかし、一度狂った歯車は元に戻らない。
「広岡さんは『なんとか再生したい』とよく練習を見てくれました。ただ、ベンチ入りの日も、試合前にブルペンで300球ぐらい投げさせられるんですよ。だんだんムチ打ちっぽくなってきて、首に激痛が走った。そう伝えると、『きれいな投球フォームだったら痛めるはずがない』って」