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「あっ、仲田か。阪神におった仲田やろ!」“内定通知”から一転、34歳で引退…酒浸りだった仲田幸司が“工事現場の監督”になるまで
posted2022/04/21 11:02
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph by
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2年で解雇された仲田は古巣へ戻ろうと入団テストを受験し、2日目に“内定”をもらうが……。引退後に“死亡説”が流れ、現在は毎朝5時起きで工事現場監督として働くマイク仲田の波乱の人生に迫る――。(全3回の3回目/#1、#2へ)。※敬称略、名前や名称は当時
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あの一言は、今も鮮明に焼き付いている。
97年10月、阪神の入団テストにはかつて輝きを放った投手が集まっていた。日本ハムで3年連続開幕投手を務めた津野浩志、中日でセットアッパーとして煌いた上原晃、甲子園の優勝投手である南竜次……その数は10名近くに上った。野手のなかには、かつて阪神で仲田とともに将来を期待された遠山昭治もいた。2年目に左肩を痛めて伸び悩んだ男は95年に投手を諦め、翌年にはイースタン・リーグで最多安打を放っていた。
「マイク、すまん。遠山を採ることになった」
最終日、仲田がブルペンに向かうと、その遠山が投球練習をしていた。
「なんで遠山がいるんやろ? と不思議でしたよ。ヘッドコーチの一枝(修平)さんは『バッターじゃ使われへんけど、ピッチャーで1回見てみる』と言っていました。吉田(義男)監督含め、遠山がルーキーの頃の首脳陣で良い時を知っていましたから」
3日間のテストが終わり、各選手は鳴尾浜球場の隣にある虎風荘で通知を待った。合否を伝えるのは、一枝の役目だった。その部屋に入る直前、仲田は遠山とすれ違った。内定を言い渡されているマイクが「どうやった?」と声を掛けると、遠山は俯き加減で「いやぁ……」と掠れ声を漏らしながら、その場を立ち去った。
意気揚々とドアを開けた仲田に、一枝が宣告した。
〈マイク、すまん。遠山を採ることになった〉
仲田幸司と遠山昭治には浅からぬ因縁があった。
83年秋ドラフト3位の仲田は快速球を武器に高卒2年目でプロ初勝利を完封で達成し、21年ぶりの優勝に貢献した。そのオフのドラフトで清原和博を抽選で逃した阪神は、外れ1位で遠山を指名。翌年、遠山は同じ高卒ルーキーの巨人・桑田真澄の2勝を大幅に上回る8勝を挙げる。仲田は初めて規定投球回に達し、7勝をマークした。
将来のタイガースは2人の左腕が引っ張っていく――。ファンの夢は大きく膨らんでいた。