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「プツンとキレて、席を立ち去りました」マイク仲田(57)が明かす“阪神からFA移籍”の真相…掛布雅之は「マイク、大人になれ」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2022/04/21 11:01
元阪神・仲田幸司の覚醒は、なぜたった1年で終わったのか?(写真は1985年)
「今までよく頑張ってくれた。(クビになると)肌でわかってるだろ。俺は何もしてやれないけど、明日の巨人戦、3人とも投げてくれ」と花道を用意してくれた。10月4日、ジャイアンツ球場で6回から8回まで与田―仲田―津野が無失点リレーで有終の美を飾った。
「普通、そんなに目を掛けてくれないと思うんですよ。移籍組ですし、ロッテにも全く貢献していない。それなのに、気を遣ってくれた。本当にすごい方ですよ」
阪神HCから「採るからそのつもりでいてくれよ」
翌日、3投手は戦力外通告を受けた。予想はしていたが、仲田の心には傷が残った。車で帰路に就くと、現役時代の思い出が走馬灯のように浮かんだ。広沢への1球、93年の絶不調、紙切れ発言……その大半は悔しいシーンばかりだった。
自宅のドアを開けると、小学2年生の娘が無邪気な笑顔で迎えてくれた。幼い頃、妻が甲子園に連れて行っても、すぐに帰りたがった長女は「パパが投げてる姿をもう1回観たい」と呟いた。このまま終わるわけにはいかない。仲田は古巣・阪神の入団テスト受験を決意する。辛辣な言葉を投げ掛けた代表は球団を去り、マイクも3勝を挙げた85年の日本一監督である吉田義男が再々登板していた。与田は日本ハムの入団テストを受け、仲田は津野とともに鳴尾浜球場で3日間、最後のチャンスに賭けた。
「その時も詐欺投法で投げましたよ(笑)。2日目にヘッドコーチの一枝(修平)さんに呼ばれて、『採るからそのつもりでいてくれよ』と言われました。『よし! 阪神に復帰できる!』と嬉しかったですよ」
その喜びが束の間に終わるとは、まだ知る由もなかった――。(後編へ続く)
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