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「プツンとキレて、席を立ち去りました」マイク仲田(57)が明かす“阪神からFA移籍”の真相…掛布雅之は「マイク、大人になれ」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2022/04/21 11:01
元阪神・仲田幸司の覚醒は、なぜたった1年で終わったのか?(写真は1985年)
0対1――。わずか1球の失投でも、エースは敗戦の責任を全て背負わなければならない。村山実や江夏豊も同じ道を通ってきた。裏を返せば、仲田が認められた証でもあった。阪神は翌日、サヨナラ負けを喫して首位陥落。その4日後、ヤクルトの野村克也監督が甲子園で宙に舞った。
殺到する“遊びの誘い”「断わる勇気を持てば…」
優勝こそ逃したが、14勝の仲田は間違いなく大躍進の原動力となった。そんなヒーローを関西のタニマチが放っておくはずもない。オフになると、誘いの電話が鳴り止まなかった。
「断わりたくても、言い出せなかった。前年まではずっと低迷していましたから、あんまり誘われなかったんです。だから、どう切り出せばいいのかわからない。早朝からゴルフして、帰りに美味しいステーキハウスで食事して、最後は高級クラブに行って、深夜1時ぐらいに帰宅する。そんな生活が週3回、多い時は5回あったんちゃいますかね。もう、しんどいんですよ。でも、1人の誘いに乗ったら、他の人を断るわけにもいかない。会合に行けば、その場にいる他の人と友達になってまた誘われる」
仲田は場を和ます力に長け、何度も会いたくなる愛嬌のあるキャラクターを持つ。裏を返せば、気遣いの人間である。その優しい性格が、この時ばかりは裏目に出た。
「『明日練習せなあかん』と思ってるのに、前日に深酒をしてしまう。朝起きたら、『ああしんどいな。今日はやめとこう』となるわけですよ。それが続いて、トレーニングが疎かになり、体のケアもできなかった。断わる勇気を持てば良かったと後悔しています」
失った感覚…ブレイク翌年は「3勝12敗」
92年の起用法が仲田の体を蝕んだことも事実だろう。8月下旬には完投勝ち後、中4日でリリーフして2回を投げる。その翌々日も救援で登場してサヨナラ負けを喫すると、中3日で先発して153球の熱投も延長10回完投負け。9月下旬にも9日間で先発2回、リリーフ2回と酷使された。この年、2位の野茂英雄(近鉄)を抑えて両リーグ最多の217回3分の1を投げた。
「優勝が見えていましたからね。少々疲れていても投げますよ。最下位争いで『行け!』と言われたら、『なんで?』って思いますけどね(笑)。翌年も肩やヒジの痛みはなかったですが、疲労が蓄積していたのかもしれない。だからこそ、オフに充分に体を休めるべきだった」
春季キャンプ中、ブルペンの投げ込みでは気付かなかったが、実戦で打者と対すると違和感を覚えるようになる。