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広島商vs広陵、プロ入り後の成績ベストナインは? 達川光男や金本知憲、野村祐輔に中村奨成…カープ色強め!? 100年超え宿敵の勝敗がスゴい
posted2022/03/24 11:03
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sports Graphic Number/Kou Hiroo
夏の甲子園の前身の「第1回全国中等学校優勝野球大会」は1915年から始まっている。広島商は第1回から予選に参加、広陵は翌1916年から参加し、この年、広島県大会の準決勝で両校は初めて対戦した。以来、2021年の第101回大会まで、広島商と広陵は1世紀を超えて好勝負を繰り広げてきた。
☆広島県立広島商業高等学校☆
甲子園通算成績
春 出場21回 19勝20敗 優勝1回 準優1回
夏 出場23回 43勝16敗 優勝6回 準優1回
1899年に広島商業学校として創設され、1915年の「第1回全国中等学校優勝野球大会」から参加している古豪。戦前の商業学校は地域経済を担うビジネスマンを育成するエリート校だった。
南海の大監督、鶴岡一人は呉市から広島商を受験したが「3人受けて受かったのは私1人だった」と語っている。夏に強く1924、29、30、57、73、88年と6回優勝。これは中京大中京(愛知)の7回に次ぐ史上2位の記録で、1930年夏、31年春と夏春連覇している。21世紀に入ってからは春1回、夏2回の出場にとどまっていたが、2022年のセンバツには20年ぶり22回目の出場を果たした。
古豪ならではの“時を越えた”クリーンナップが誕生
まずは広島商のスタメンを見ていこう。※は2022年開幕時に日米球界(独立リーグ除く)でプレーする現役選手、数字はNPB通算成績(2021年シーズン終了時)。
1遊/大下剛史1962(1233安50本322点295盗 率.260)
2二/三村敏之1966(1245安149本490点49盗 率.255)
3中/柳田悠岐2006(1259安214本691点156盗 率.319)※
4三/鶴岡一人1935(790安61本467点143盗 率.295)
5指/山本一義1956(1308安171本655点22盗 率.270)
6一/岩本貴裕2004(240安31本131点1盗 率.253)
7捕/達川光男1973(895安51本358点17盗 率.246)
8左/上垣内誠1962(328安24本108点34盗 率.230)
9右/土屋雅敬1942(372安7本108点140盗 率.254)
地元・広島でプレーした選手が多い。
1番の大下剛は東映ー日本ハムに入団、1975年にトレードで広島へ移り、リードオフマンとして赤ヘル初優勝に貢献した。2番・三村敏之も広島初優勝の正二塁手で、のち監督を務めた。現役の柳田悠岐は広島経済大を経て2010年ドラフト2位でソフトバンクへ。今や日本の中軸打者だ。
鶴岡一人は法政大を経て草創期の南海へ。戦後は選手、監督として南海の黄金期を創出し、殿堂入りしている。柳田、鶴岡と70年以上の時間差を経てホークスの大黒柱が並ぶのは偉観だ。
山本一義も法政大出身。広島初優勝時に7番打者を務めていた。 岩本貴裕は亜細亜大から広島へ入団した左の強打者。達川光男は73年春の甲子園で江川卓の作新学院を攻略して準優勝し、夏の甲子園で優勝を果たした。東洋大を経て広島へ。名捕手として鳴らす。
上垣内誠は大下剛史と高校の同級生。広島でプレーしたが、1974年オフに同級生の大下とのトレードで日本ハムへ。土屋雅敬は国鉄時代の1951年に盗塁王を獲得し、のちに広島へ移籍した。