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「“高木美帆のお姉ちゃん”と呼ばれて…」スピードスケート高木菜那の心が折れた“最強の妹”の出現「私のこと…誰も褒めてくれない」菜那を救った恩師の言葉
posted2026/02/10 11:01
初の著書で妹・高木美帆への想いを赤裸々に明かした高木菜那 (写真は2016年撮影)
text by

高木菜那Nana Takagi
photograph by
Takuya Sugiyama
平昌五輪で妹・美帆とともにスピードスケート団体パシュート金メダル、さらにマススタートでも金メダルを獲得し、日本人女子として初の“2冠”を達成した高木菜那。北京五輪後に引退し、現在はミラノ・コルティナ五輪で現地解説を務めるなど幅広く活動している。本稿は、そんな高木が半生を綴った初の著書『7回転んでも8回起きる』(徳間書店)から、【歓びと葛藤のあいだで】の章の一部を抜粋して紹介する。心を砕かれたと明かした妹・美帆への本音とは?(全2回の後編/前編につづく)
友だちと会う楽しさが優先だったスケートに、少しずつ目標をもつようになったのは中学生になってからです。
小学生時代のスピードスケートの種目は1000メートルまででしたが、中学では中距離の1500メートル、長距離の3000メートルが加わり、私は長距離種目に挑戦するようになりました。
中学1年生の頃から、おもに中学・高校生世代を対象に、規定の標準記録を切った人が出場できる全日本ジュニアスピードスケート選手権大会(全日本ジュニア)に出場していたのですが、やはり年上の選手たちが速くて歯が立ちません。中学校の全国大会などでも、1500メートルで5位に入るのがやっとで、3000メートルでは上位に入ることはできませんでした。
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それで中学2年生のときに、少しでも勝算のある1500メートルに本格的に移行して、全国大会を目指すようになります。
しかし、全国大会での結果は1500メートルで6位。1年生のときよりも順位が下がり、それがめちゃくちゃ悔しくて、その後に控えていた1000メートルのレースは、正直、諦めていました。
先生から「諦めるな!」と励まされましたが、ひとつ年上の強い選手もいたので、「絶対勝てない、もう無理!」と諦めながら滑ったら、まさかの優勝。
勝てると思っていなかったレースだったから、自分でも、「えっ、勝っちゃったの?」という感じでした。
思ってもいなかった優勝で、私の感情にさらなる変化が生まれたのは、まさにこの瞬間でした。

