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クラブ泥酔騒動で「マスコミを恨んだこともあった」 日本人女子初の冬季金メダリスト・里谷多英が告白した“栄光と挫折”
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2022/02/07 11:00
1998年の長野五輪で金メダルを獲得した際の里谷多英
「愛子の存在がなければ……」
愛子とは仲いいですよ。昔は、バチッバチッで火花が散っている、そんな感じのときもありました。ライバル意識もお互いにあった。でも、彼女の存在がなければ、私ももっと早く辞めていたかもしれない。
愛子はほんとうにすごい選手なんです。引退セレモニーがあった猪苗代の大会前の記者会見で私のことを「越えられない壁でした」と言ってくれた。でも、愛子はオリンピックでメダルを獲っていないというだけで、ワールドカップで総合優勝、世界選手権も金メダル、すでに私を超えている。本人もそれを自覚していると思うんです。総合優勝のあたりから、私に対して優しくなってきた。老人をいたわる雰囲気というか(笑)。会見であのように言ってくれたのは彼女の優しさだと思うし、強くて、思いやりがあって、心から尊敬しているんです。頑張ってほしいな。愛子が頑張らないと日本のモーグル界は大変だと思うから。
このままだと日本のモーグルの将来は決して明るくないと思うんです。例えば日本代表の選考基準も、はっきりした方が選手のためになるんじゃないでしょうか。今シーズン、私がワールドカップの日本代表に復帰するために北米の大会でどんな成績が必要かは、文書で出してもらっていたからよかった。でも、シーズン開幕時にワールドカップに連れて行く日本代表の選考基準があいまいだったりします。どうすれば代表になれるかはっきりしていないと頑張れない。あとづけの理屈で言われるのは、どの選手にとっても辛いと思う。どんな競技でも、そういうところがはっきりしていることは大切ですよね。マイナースポーツだからこそ、きちんと決めてはしいと思っています。そうすれば、余計なことに神経を使わず競技に集中できると思うんです。
社会人になった本音「スポーツ界は自分だけよければいい世界」
バンクーバー五輪のとき、里谷は言った。「支えてくれている人は100人では足りません」。
若い頃から引退に至るまで、数多くの人が里谷を応援していた。それは裏表も打算も一切なく、いつも変わらぬ素直な人柄あればこそだ。
多くの人に愛され、冬季競技の歴史にたしかな足跡を残した里谷多英は、36歳の今、新たな一歩を踏み出そうとしている。
4月からは、フジテレビの社員として通常の業務を行なっていくことになります。部署はまだ決まっていません。今まで世間にほとんど出ないで、狭い世界でずっと生きてきたじゃないですか。だから、私は常識のない社会人なんだろうなって思う。スポーツ界は自分だけよければいいというところで、緩い緩い世界だと思います。それに比べて、社会人ってほんとうに偉いなって思うんです。今からバリバリ仕事できるようにはならないと思うけれど、人に迷惑かけずに働けるようになりたい。それが目標です。
だって、パソコンも満足に使えないくらいなんですよ。自分のパソコンにはエクセルもワードも入ってないくらいです。だから今、エクセル講座に通っています(笑)。
引退を決めたときは、スキーを履きたいと思うわけなんてないと思っていました。でも、遠征中の選手がLINEで「今日試合ですよー」「天気いいですよ」と言っていたりすると、天気がいい中で滑るなんて気持ちよさそうだなあ、いいなあってもう思っている(笑)。大会に戻る気はないけれど、最近、またスキーをしたいなと思うようになってきました。
きっとこれから、競技人生が長かったとか短かったとかも考えるんでしょうね。今は何も思わなくても。
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