Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
クラブ泥酔騒動で「マスコミを恨んだこともあった」 日本人女子初の冬季金メダリスト・里谷多英が告白した“栄光と挫折”
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2022/02/07 11:00
1998年の長野五輪で金メダルを獲得した際の里谷多英
クラブ泥酔騒動…「マスコミを恨んだこともあった」
ソルトレイクシティでも銅メダルを獲得した里谷は'03年に結婚、その年のシーズンを休養にあてたあと、トリノ五輪へ向けて復帰する。だが'05年2月、クラブで泥酔して警察に連行される卜ラブルにより翌月の世界選手権代表辞退をよぎなくされ、のちに離婚した。
トラブルは競技に影響があったか? ないことはないと思うけれど、どうなんですかね。なかったらなかった方がよかったんだろうけれど、私はいつか大きな失敗をしそうな雰囲気を持っていましたよね(笑)。よく言えば、天真爛漫で素直な感じなんですけれど。あれはあれで教訓になったのかな。ちゃんと生きていかなきゃと思ったし、振り返ってみれば、そのまんま大人になるのも危なかったかなって思います。ただ、家族には迷惑をかけたし、申し訳ないという気持ちは今もあります。
人とのかかわり方も、変わっていきました。マスコミに勤めていながら言うのもなんですけれど、マスコミの人を恨んだり、話したくないと思うことがあったんです。私は適当なことを言っても許されると思っているところもありました。でもあの頃から、きちんと話さないと駄目だ、その時の気持ちで、苛々しているから話さないとかよくないと思いました。それまでもそんなに嫌われていたわけじゃないけれど、嫌われてもあまりいいことないっていうか。
トラブルのあとから、トラウマじゃないけれど、新聞とかネットは自分が出ているって聞くと見ないようにしています。でも引退では悪く書く記事がなかったと母が言っていて、記者の方たちに自分の気持ちを伝えてきたのはよかったな、と思いました。
若い頃、「多英はオリンピツクの2週間前から練習する」と…
トラブルを乗り越え、'06年のトリノに出場。しかし里谷は15位に終わる。
トリノには、プライベートコーチと契約して臨んだのですが、大会後に解約して、全日本に戻ってやることにしました。ところが、当時のナショナルチームのコーチに、「今まで一人で動いていたのに今さら。チームの寡囲気を壊したくない」というようなことを言われた。じゃあ雰囲気を壊してないという風に思われなきゃ、と若い子がやる前に率先して練習したり、集合時間の10分前に行ったり、みんなの荷物を運んだりしたんです。そうやってまじめにやっていたら、スキーが楽しくなっていきました。今までできなかったことができるようになるんですね。するとまた一生懸命になる。若い頃、「多英はオリンピツクの2週間前から練習する」と言われていたことがありますが、それとは対照的です(笑)。
若いときはそこまで努力しなくても伸びる時は伸びる。でも年を取ると、競技を続けられること自体に感謝するようになるし、まだ続けたいから頑張ろう、と努力を惜しまなくなるんです。
周囲にも感謝するようになっていきました。昔はコーチに対しても、教えるのが仕事でしょ、と醒めた感じだったけれど、一生懸命に教えてくれるコーチに、あの人が見てくれるからだと思えるようになった。