“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
横浜FCオファーに「ついに来たか!」
青森山田キーマン古宿理久の向上心。
posted2019/12/19 11:40
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
埼玉スタジアムで行われた高円宮杯プレミアリーグファイナル。
年間通して行われるプレミアリーグEASTとWESTの1位同士が一発勝負であいまみえる「ユース年代の日本一」の戦いは、EAST王者・青森山田高校がWEST王者・名古屋グランパスU-18を3-2で振り切って、3年ぶり2度目の優勝を手にした。
この試合、青森山田のピッチには2人のJリーグ内定者が立っていた。浦和レッズ内定のMF武田英寿と、横浜FC内定のMF古宿理久だ。
青森山田の10番を背負うU-18日本代表の武田は昨年からのレギュラーとして活躍し、中心選手として大きな注目を浴びてきた。今回は、武田の影に隠れ、取り上げることが少なかった古宿について描きたいと思う。
「ずっと泣いていました」
古宿はエリートの武田と違い、ここまで遠回りした道のりを歩んできた。
「一日中、ずっと泣いていました」
こう振り返るのは中3の夏の出来事だ。当時、横浜FCジュニアユースに所属していた彼は「運命の夏」を迎えていた。親と選手がアカデミースタッフと面談を行い、そこでユース昇格の可否を聞く。彼に告げられたのは「ユース昇格はなし」という非情な通告だった。
「言われたその場で泣きました。プロになるためにジュニアユースに入ったようなものだったので、本当に悔しかったし、ショックで……。帰り道も家でも、寝る直前までずっと泣いていました」
この涙には深い理由があった。実は彼がこの通告を受けるのは「2度目」だったのだ。
時間を巻き戻すと、古宿は小学校4年生の時から横浜F・マリノスのスペシャルクラスに在籍していた(横浜FMのジュニアチームで、スペシャルクラスの1つ上がプライマリーにあたる)。当時は「マリノスでジュニアユース、ユースに上がってプロになる」が目標だったが、6年生の時に「ジュニアユースには昇格できない」という宣告を受けていた。
「そこでも泣きました。本当にショックだったけど、その時に横浜FCジュニアユースのコーチが僕のことを知ってくれていて、『ウチで一緒にやろう』と練習に呼んでくれたんです。マリノスジュニアユースに上がれなかったショックもありましたが、その分、『絶対に横浜FCでプロになって恩返しをしたい』と強く思うようになったんです」